デジカメ報道 「今の呉軍港」 2013.3.17.(日曜日)

   米第7艦隊創設70周年記念の親善寄港

呉軍港Eバースのブルーリッジ   ホスト艦「おおすみ」

ブルーリッジとおおすみ・しもきた

  米第7艦隊・揚陸指揮艦ブルーリッジ(USS Blue Ridge, LCC-19)

 米第7艦隊は、太平洋戦争末期の1943年3月、ダグラス・マッカーサー陸軍大将
の指揮下にある南西太平洋海軍部隊が改編され第7艦隊となった。
 現在、ハワイのホノルルに司令部を置く太平洋艦隊の指揮下にあり、
東経160度線以西の西太平洋・インド洋(中東地域を除く)・アジア全域を担当海域にする。
 航空母艦(原子力空母)「ジョージ・ワシントン」を主力艦とし、350機の航空機を擁し、
戦時には6万の水兵と海兵を動員する力をもつ。
 平時の兵力は約2万。アメリカ本国の反対側に当たる地球の半分を活動範囲とし、
アメリカ海軍の中では、最大の規模と戦力を誇る最大艦隊で、
アジア地域を支配する殴りこみ部隊の尖兵です。
 横須賀を母港として、ベトナム戦争、湾岸戦争など戦後のアジアの戦争で活躍し、
海軍部隊勲功章など多くの勲功章を受章している。
 褒賞の中にはアメリカ海軍一の艦内料理・グルメで名高いそうです。
 また、同盟下にある日本の海上自衛隊と密接な関係を持っていて、
2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震に際しては、
シンガポールから補給物資を日本に向けて輸送している。
 今回の寄港は第7艦隊創設70周年記念の親善寄港で16年ぶりで、最後の寄港となる。
前回の寄港時には、入港反対の運動が行なわれ、ゲート前までデモ行進が 行なわれたが、
今回は見学者の長い列と、米兵の丁重で和やかな案内のなかで交流が行なわれた。

 
海上自衛隊はホストシップとして輸送艦「おおすみ LST-4001」を派出

1999年、トルコで発生したトルコ北西部地震被害への援助として、仮設住宅の輸送を
2002年3月、東ティモールへPKO部隊を輸送した。
2004年2月、陸上自衛隊がイラクで使用する軽装甲機動車や給水車など車両70台を
2011年3月、東日本大地震で救援物資を仙台港へ輸送した。
2002年3月、自衛艦隊の直轄から第1輸送隊所属となり、母港は呉。
 「おおすみ」は建造時から問題視され、輸送艦ではあるが、揚陸艦としての 機能をもっており、だからこそ、揚陸艦ブルーリッジのホスト艦に選ばれたのである。
 日常の係留場所は、沖合い遠く江田島近くにあり、呉からは遠望しかできない。
今回、間近かに見て、その大きさや機能が実感できた。


 A.ブルーリッジの見学

 長蛇の列を作る見学者を海上自衛隊の隊員が数メートル間隔で見守る中、
米軍による持ち物検査と探知機で身体検査をした上で乗艦していった。

  呉軍港全景  米日艦船見学

 三隻係留の右端は4002「しもきた」、中央はホスト艦の4001「おおすみ」
 左端が米第7艦隊・旗艦の揚陸指揮艦「ブルーリッジ」

  入場風景  見学乗船の列  白いテントが検査場

しもきた  「しもきた」   しもきた艦尾

  「しもきた」とIHI工場  IHIドックの182いせ18DDH

おおすみ 4001  ホスト艦おおすみ

  乗船案内  ブルーリッジ艦首

  ブルーリッジ見学乗船   見学乗船の列


艦橋  上甲板艦橋   上甲板

  ブルーリッジ艦尾  艦尾とEバース、沖の自衛艦

  ブルーリッジ見学パンフ1   ブルーリッジ解説

  艦内入口  乗員名  艦内ベル

  艦名マーク  マットのマーク 

  Fバース  Fバース  呉港風景

  B.輸送艦「おおすみ」LST-4001 の見学

   いつも遠くから眺めるだけだった「おおすみ」に乗艦してみると、
その大きさに資料だけの知識との違いに目を覚まされた。
 特に、エアクッション艇LCACの大きさと性能にびっくりした。
まさに揚陸艦の性能を持っていることが理解できた。
海外で戦争ができる力を海上自衛隊が持っていることがよく分かった。

  おおすみ後部上甲板   おおすみ艦橋  艦橋

  案内パンフレットに書かれた「おおすみ」の概要。

  おおすみ艦歴  おおすみ概要  艦マーク

  おおすみ要目  おおすみ武器

   隊員の解説では、電波・赤外線妨害のチャフ(電波欺瞞紙)装置と
 20mm機関砲(1分間に3000発発射)が自動操縦になっている。
 要するに、飛来するミサイルや戦闘爆撃機に銃弾幕のバリアを張るそうだ。
  ちなみに、ブルーリッジは1分間に4500発の発射速度を持つそうだ。

LCAC要目  概要図   艦内掲示の解説板

  LCACの運転席  LCAC乗員名

  プロペラ  プロペラ

 LCACの広さの実感としては、大型フェリーか体育館の半分くらいに思われた。


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