「大和ミュージアム」 課題・見学記

X、大和ミュージアム開館 1周年を経て判ったこと

開館1周年記念

   《 新聞報道から 》

朝日新聞 2006/4/23 日曜日

中国新聞 2006/4/25 火曜日   中国新聞 2006/4/26   中国新聞 2006/4/27

1、今、明かす<ミュージアムの設立過程>

 設立の推進者<小笠原.前呉市長に聞く>朝日新聞

  <史料収集が進むうち、構想は県立から市立へと替わりました。>

 「市側は、竹下虎之助知事のころから県立施設を要望していた。だが、
『展示史料のめどがつかないとだめだ』と知事にいわれ、3年かけて史料収集した。
その後、県から『やはり軍事色を出すと難しい』といわれた。
戦後、世界一のタンカーを建造した背景には戦艦大和の造船技術がある。
それを抜きに抜術伝承は語れない。県に任せず、市立構想で、となった」

  <基本構想から15年をかけての開館。苦労した点は。>

「市の負担をどうやって軽減するか。国に補助を働きかけていたとき、周囲から
『(近現代史の歴史展示は)国家的な事業のようなものだから、全国に資金協力を呼びかけたほうがいい』となった。
中曽根康弘さんが海軍主計中尉で呉鎮守府にいた縁もあって発起人代表をお願いした。
地元も含め全国から約6億円の募金が寄せられた」
「呉市が軍港として発展してきたのは事実。戦争のために国民に大きな犠牲があった。
平和の大切さを知ってもらう施設にと、展示史料や説明にもずいぶん気を配った」


 <来春、隣接地に海上自衛隊の史料館が完成し、潜水艦の実物展示も計画されています。
防衛色が濃くなりませんか。>

「潜水艦の屋外展示はもともと、大和ミューージアムの基本構想に入っていた。
海上自衛隊も協力的だったが、財源的に市では難しくなった。
防衛庁長官もやった池田行彦さんらの力を借り、国でやってほしいと働きかけてきた」
「国の施設だから、国民に防衛の理解を深めようという役割が出てくるのは当然。
広島の平和記念資料館や江田島の旧海軍兵学校などを見学し、いろいろな角度から
明治以降の歴史や戦争・平和を考えるきっかけになればいいと思う」

2、驚異的な入館者数

  <クリック>
 来館者数の推移 昨年4月23日の開館から12日目の5月4日に、10万人を達成。85日目の7月16日に当初目標の40万人をクリアし、
197日目の11月5日には1OO万人の大台に。323日目の3月11日に150万人を突破。
開館1年を前にした今月21日、170万人に達した。24日現在172万155人。(中国新聞)

<開館1年 大和ミュージアムに170万人 ブームか? 戦前回帰か?>朝日新聞

<< 旧海軍の拠点だった呉の歴史と造船技術を紹介する大和ミュージアム
(呉市海事歴史科学館)が、23日で開館1周年を迎える。
入館者数は予想を大幅に超え、連日盛況だ。
戦艦「大和」を舞台にした映画上映も追い風になったが、地元関係者でさえ
「なぜこれほど人が押し寄せるのか」と首をかしげる。
一時的なブームか、それとも戦前回帰の流れか。
当初予想は年間20万人で、開館直前に40万人に上方修正された。
 入館指数は4月22日で170万6412人となり、県内の有料観光施設では厳島神社を抜いて年間最多になる見通し。>>

 小笠原・前呉市長は
「(日露戦争の)日本海海戦100周年や戦後60周年で、戦艦大和が話題になった。
 ミュージアムの愛称を募集すると、全国から5400余件の申し込みがあった。
 鹿児島県知覧町にある知覧特攻平和会館の入館者は年間60〜70万人だが、
まさかそこまではいかないだろうと思っていた」

 <ブームの背景には何がありますか。>

  悲劇的運命心情集まったかも

「戦艦大和」は現代の平家物語だ、という人もいる。その悲劇的な運命に心情が集まったのかもしれない。
 さらに、明治以降の日本の歴史を客観的に見ようという空気もだんだん出てきた。
 10、20年前なら、自衛隊は憲法違反だとか、展示で戦争をとりあげるのはけしからんという雰囲気があった。
 社会党委員長だった村山富市さんが首相になって自衛隊を容認し、阪神大震災で自衛隊の役割が見直された。
 戦後50年から毎年、地元で開かれた戦艦大和のシンポジウムを通して市民の理解も深まった」

<戦後六十年の節目や話題性があいまって、予想を大きく上回った。
   なぜこんなに来館者の心をとらえたのか。>中国新聞

  うれしい誤算 世代超え来館者170万人

 「まさか来館者が百万人を超すとは、夢にも思わなかった」。
同ミュージアムの伊牟田真治主幹(49)は振り返る。開館前は「閑古鳥が鳴くのでは」とささやかれ、当初目標は年間四十万人と設定したほど。
うれしい誤算が続き、結果的には全国各地から四倍以上の人が訪れた。
 日曜日と祝日は一万人以上になり、平日でも三千−五千人前後で推移した。

昨年十二月に全国封切りした東映映画『「男たちの大和/YAMATO」の好調ぶりも反映。冬場にも来館の勢いは落ちなかった。

  呉市内からは1割

ミュージアムによると、来館者は北海道から沖縄までの広島県外からが六割。
特に関西や関東からの観光客が目立つ。残りが県内からだが、呉市内からはI割にとどまっている。
 性別で見ると、六割が男性で、女性が四割。
三十−五十歳代が半数を占め、次いで二十歳代以下が25%、60歳代以上が22%で、
家族連れや若いカップルの姿も目立つ。
伊牟田主幹は「大半が年配者と思っていたが、こんなに若い人が来館するとは」と驚く。

 東京都大田区、警備員須藤康太さん(21)は「映画を見て、大和や乗組員の壮絶な最期に心揺さぶられた。大和の模型と乗組員の遺書をどうしても見たかった」。
大阪市阿倍野区、会社員佐々木紀子さん(40)は「アニメの宇宙戦艦ヤマトを見て育ち、大和には一種の親近感やあこがれを覚える」と打ち明ける。
兄が大和の乗組員で、来館三回目の農業塩見正臣さん(70)=岡山市曽根=は「ミュージアムは兄の墓のような存在。犠牲者の名簿を手でさすりながら、冥福を祈るんです」と涙ながらに話した。

  「10年前は不可能」 戸高一成館長

「十年前では開館自体、不可能だったと思う。兵器を並べているとの批判が強かったはず」。戸高一成館長(57)は思いを巡らす。
「戦後六十年たって、やっと戦争を冷静に見られるようになった証し」と強調し、
「日本人は判官びいきの精神性が強い。
世界一の能力を秘めながら悲劇の運命をたどった点が、人々の心情に訴えるのでは」と推測する。
 大和人気は「戦争を知らない世代に日本人としての意識が芽生え、過去の戦争から学ぼうという探求心が生まれたから」と、指摘するのは高橋衛広島大名誉教授(76)。
「歴史を振り返る中で、誇りや自信を取り戻せる象徴的な存在が大和なのだろう」と分析している。

3、大和ミュージアムに対する評価・賛否・感想

  技術の利用 人しだい  中川正美(朝日新聞)

〈ひと言〉 科学技術をどう展示するか。

たとえば20世紀で最も重要な科学技術の一つは原水爆だ。
広島の平和記念資料館に行けば、技術の負の面に愕然とさせられる。
一方で原子力エネルギーは産業に貢献するとの見方もある。
技術は軍用民用の両面がある。どう使うかは人しだいだが、
歴史は人間が技術に振り回されてきた事実を雄弁に語っている。
戦艦大和は悲劇的な英雄ではなく、
人間の傲慢さ、愚かさ、悲しさを詰め込んだタイムカプセルにみえる。

  賛否両論 展示の判断冷静な目で  中国新聞(吉村明)

 「大和の技術力の高さ、偉大さに感動した」 「模型の大きさに驚いた」ー呉市の大和ミュージアムに置かれたアンケート箱には、来館者から戦艦「大和」や展示内容などに対する声が多数寄せられる。
 その中には、「軍事博物館だ」「戦争の被害に目を向けず、賛美しているのでは」
「北朝鮮や中国との関係を考えると、複雑な気持ちになる」など批判的な意見もある。
 館内には大和の十分一模型(全長二十六b、高さ六b、重さ二十九d)をメーンに、
零式艦上戦闘機(ゼロ戦)や人間魚雷「回天」、大和の主砲弾なども実物展示してある。
 さらに、建造から沈没までの大和の歩みや技術などを詳細に解説しているほか、乗組員の遺影や遺書、手紙、戦死者名簿などを並べ、生還者の証言もビデオで流している。
 東京都東久留米市、会社員浅沼和弘さん(32)は「戦争を取り上げた博物館は珍しい。事実は事実として隠さず、知らしめている点に共感した」と熱心に見入っていた。

 「技術には罪なし」 戸高一成館長(57)は

 「技術自体には、何の罪もない。技術を使う人間の側に責任があり、使い方次第で戦争という悲劇を招くことを知ってもらいたい」と強調。
「正しい資料を提供することに力点を置き、判断は見た人自身に委ねている。
コンセプトを押しつける展示にはしていない」と理解を求める。

 これに対し、会社役員佐藤尚義さん(68)=長崎市横尾=は
 「確かに技術のすごさは感じるが、軍艦や兵器は人殺しの道具にほかならない。
見る側が冷静な視点で展示品を見る必要がある」と指摘する。

 「正直、見学して腹立たしく思った」と打ち明けるのは、
  旧海軍の特攻隊員だった岩井忠熊立命館大名誉教授(83)。
 「大和の特攻が、いかに無謀で愚かだったかの視点が欠けている。
大和の建造を誇りに思わせる意図を感じる」と嘆き、
「あからさまな戦争賛美ではないが、大和を肯定している点や
国民がブームに乗せられている風潮に恐ろしさを感じる」と警鐘を鴫らす。

 模型に注目集まる
 二〇〇七年四月には、ミュージアムはす向かいに退役した実物の潜水艦を屋外展示する海上自衛隊呉史料館(仮称)がオープンする。軍事色が一層強まるとの懸念の声もある。
 大和の元乗組員で、生還者の八杉康夫さん(78)=福山市野上町=は
「模型の大きさばかりが注目されている。
博物館が観光施設化し、戦争や大和の悲惨さがどこまで発信できているのか」と疑問を呈し、
「ブームは一過性のもので、いずれ風化する。大和の運命を考えながら、平和の尊さ、ありがたさを学ぶミュージアムであってほしい」と願っている。


4、ミュージアムの施設・展示方法に対する評価・感想・要望

  優しさ不足 解説・休憩所改善の余地 中国新聞(吉村明)

 お年寄リから不満

 大和ミュージアム(呉市)の館内をあらためて歩いてみた。足早に見学すれば一時間程度。じっくり見て回ると、優に二時間を超す。
 館内全体を見学するには、距離にして約七百b。屋外展示を含めると一`近く歩く計算になる。
 兵市県姫路市から訪れた主婦山田君子さん(76)は「休憩場所が少ない。年寄りには立ちっ放しはこたえる」と疲れの色を隠せない。
 いすは一階から三階までのロビーと十分の一模型周辺、実物展示場の五力所に計九十二席設けている。
しかし、来館者の二割以上が六十歳以上で、休憩場所の少なさを実感する。
 ミューージアム側が一年間実施したアンケートでは、「解説文の文字が小さくて、読みづらい」
「車いすに乗ったままだと、見えにくい」などの数多くの不満や苦情が寄せられた。
「外国人への対応がいまひとつ。戦争の歴史を知る日本では珍しい博物館なので、グローバルな展示方法も考慮してほしい」
と、要望するのはオーストラリアから訪れた主婦ロバーツ庸子さん(29)。
 展示パネルや解説文は千点以上。展示コーナー十五ヵ所の説明は英文で訳しているが、約二千点の資料はタイトルだけが英文表記で、説明は日本語だけ。
これに対し、原爆資料館(広島市中区)では資料のタイトル、説明とも全文を英訳して展示している。
 展示解説文は「船渠」「大尉」など専門用語や軍事用語の漢字が並び、振り仮名も少ない。
昨年度、県外から修学旅行生が四十三校、約三千人が来館したが、大社小(出雲市)の矢野智子教諭(49)は
「小学生に難しい漢字が多すぎる。戦艦大和の十分の一模型だけ見て、展示は素通りし、技術体験コーナーに行ってしまう」と指摘し、配慮を求める。

 喫茶・軽食を望む声

 ミュージアムは害虫の発生で資料が損傷するのを懸念し、飲食コーナーを設けていない。
 しかし、「館内に一息入れる喫茶店や軽食レストランがほしい」と開設を望む人は多い。
 大和関連グッズを販売するミュージアムショップは面積が約五十平方bで、日曜祝日に客でごった返す。
  (ミュージアムショップ)
   菓子類やプラモデル、Tシャツなど大和関連グッズ約600種を取りそろえる。
   人気商品は50O円前後のせんべいや手ぬぐい。
   日曜、祝日には1日1OOO人以上が買い求める。
   売り上げは3月末までで、4億4000万円を超えた。

来館者から「もう少し広くしてほしい」との声は絶えない。
 これに対し、ミュージアム側は寄せられた不満や苦情に対応し、順路の案内表示を拡大。 閉館時刻も延長した。市民八十六人がボランティアガイドとして登録。
十−十五人が毎日、来館者の支援をするほか、学芸員も修学旅行生を中心に解説して回るなど、優しさやもてなし度アップに力を入れている。
 伊牟田真治主幹(49)は「目配り、気配り、心配りで来館者に心地よく過ごしてもらい、リピーターも増やす努力を続けたい」と、気を引き締めている。


   《大和ミュージアムは、現在、どんな施設なのか。》  (呉戦災を記録する会 評注)

 大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)の設立理由・展示内容を把握する上で欠かせないのは、
「法的、行政的にどんな性格を持った施設であるか」を見ることが大切である。
 大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)は、一見、展示内容やイベントが教育文化に属する施設なので、教育委員会の所管のように錯覚をするが、実は、商工観光部の管轄下にある。

 本来、博物館的なものは教育委員会の所管なのだが、文化行政と観光行政を一体で進めたい、などの理由で、この施設を教育委員会に所属させず、商工観光部の管轄下に置いたと考えられる。
 つまり、博物館法で登録された「登録博物館」や「博物館相当施設」ではなく、「博物館類似施設」か「観光施設」であるが、正式には県に届けられていない。
 呉市海事歴史科学館の名が示すとおり、単なる「館」であって「博物館」ではなく、略称として勝手に「ミュージアム」の名をつけた海事、歴史、科学に関連のある博物館類似施設らしいが、現在は、単なる観光用展示施設? と思われる。

 その意図通り、170万人以上の人が入館する最大の理由は、「十分の一模型の戦艦大和」=『見世物』への「観光」で、「戦争と平和」「技術と生活」などへの思想的文化的な関心は奥まってみえ、『平和と技術』を熱心に見学させるようにはなっていない。
 1周年記念の企画展「10分の1 戦艦「大和」に魅せられた男たち」の標題がよくこの本質を物語っている。

  1周年記念企画展ポスター   企画展ポスター裏面   展示風景1
   記念イベントポスター   発明イベントポスター   展示風景2


   《大和ミュージアムの将来展望》

 私(朝倉)が大和ミュージアムで、良い「ミュージアム」だと思っているのは、若者や子供を対象にした3階の
「展示室 C 船をつくる技術」、「展示室 D 未来へ実験工作室」である。
 修学旅行などに来たり、入館した子供のほとんどは、「十分の一模型の戦艦大和」と、
この展示・イベント会場に強い関心を示している。まさに「科学館」の面目躍如といったところである。
 望むべくも無いかもしれないが、「戦争被害や戦争の悲惨さ」を「戦艦大和」と関連付けながら、
「戦争の起こる原因と戦争の防止努力」を展示できるようになると、不評の歴史展示が是正され、
当館の主要目標である「技術」と「平和」が正当に展示でき、まさに「海事歴史科学館」の名に恥じない
素晴らしい「博物館」(類似施設)になれると思われる。 (2006/5/10.記)



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