《呉の歴史・略年表》

    
「軍都」呉の略史

1883(明治16)年 軍艦「第二丁卯」の呉湾測量
1884(明治17)年 海軍用地の買い上げが始まる
1886(明治19)年 第二海軍区軍港を呉港に定める
1889(明治22)年 大日本帝国憲法発布
            呉鎮守府開庁、造船部、兵器部を設置
1894(明治27)年 日清戦争ーー1895年
1897(明治30)年 呉鉄道起工(海田市−−呉)
            呉に造兵廠を新設
1899(明治32)年 広村の二級の滝に広発電所が完成。
            はじめて呉に電灯が点く、県下では、広島・尾道に次ぐ
1902(明治35)年 和庄村、庄山田村、宮原村、ニ河町を合併して
            呉市制をしく(全国で54番目)
1903(明治36)年 造船・造兵の2廠を合わせ、呉海軍工廠となる
1904(明治37)年 日露戦争ーー1905年
1910(明治43)年 商港を川原石から吉浦へ移転
            軍港規則改正により、20t以上の船舶の軍構内航行を規制
1912(明治45)年 海軍工廠のストライキ、呉市の人口は11万7千人
1918(大正7)年  シベリア出兵、呉市で米騒動が起き、海兵団が出動
1920(大正9)年  呉海軍工廠広支所が開庁、第1回国勢調査で、呉市の人口は13万354人
1928(昭和3)年  吉浦町、阿賀町、警固屋町を呉市に合併、人口は17万6.234人
1931(昭和6)年  呉海軍航空隊を開設、海軍の軍縮で、工員を整理
1934(昭和9)年  広・虹村に呉航空隊竣工式
1936(昭和11)年 呉線沿いの川原石などに目隠しの板塀をし、防諜活動が本格化
1937(1昭和2)年 日中戦争はじまるーー1945年、戦艦大和の起工
1941(昭和16)年 潜水艦隊基地を開設、軍の要請で、仁方町・広村を合併、人口は27万4983人
            日米開戦・大東亜戦争(太平洋戦争)−−1945年
1943(昭和18)年 呉市の人口は40万4千983人・最高記録
1944(昭和19)年 女子挺身隊結成
1945(昭和20)年 米軍機による呉市への空襲始まる、学童の集団疎開を行う
            5波14次にわたる空襲で、死者は2千71人(呉市戦災復興史)
            8月6日・ヒロシマに原爆投下、8月15日・敗戦
            9月26日・米英軍の呉進駐、呉市の人口は15万2千184人
1950(昭和25)年 朝鮮戦争ーー1953年、日本の再軍備がはじまる
            旧軍港市転換法を公布、1951年より旧軍施設の譲与がはじまる



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