。呉の戦災遺跡・記念碑めぐり

見学コース6 空襲犠牲者慰霊碑(空襲地蔵)めぐり
  和庄地区の空襲犠牲者慰霊碑(空襲地蔵)を訪ねる

@コース案内 (呉市立和庄中学校より全周1.5km・徒歩30分)
  見学コース略地図(赤丸印を周回する)

呉市街大空襲の被害
 1949(昭和20)年7月1日深夜ー2日未明に、米空軍B29による残虐な無差別焼夷弾爆撃が行われ、
 市民の約2000人が焼死した。
 特に、和庄地区周辺の住民の犠牲者が多大であった。
 (現・和庄中学校前の)明法寺周辺の防空壕や八幡地区の防空壕に避難した
市民約500名が熱風と熱炎で窒息死した。
 家族全員が犠牲となり、無縁仏となった人を悼み、空襲犠牲者全員の慰霊のため、
 寺西町・八幡町周辺の自治会の活動により空襲地蔵尊を設立した。

 夏休みのある日、中学生の文化祭を目指した自主学習に同伴して巡検してみた。

 『寺西公園・呉市戦災遭難者供養塔』

寺西公園・入り口   空襲地蔵   碑文

 『和庄公園・供養塔・延命地蔵』

  元・延命地蔵   碑文   体験者の話に聞き入る
  新・空襲地蔵・犠牲者の出た防空壕が取り壊された(07.8月23日.)


 『念仏坂・彼岸堂』(和庄小学校東下向かいにある)

彼岸堂・戦災供養碑



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