戦災遺跡 「亀ヶ首試射場」の今と昔

「亀ヶ首試射場」の所在地  略地図

「亀ヶ首試射場」の見学は、大迫(おおさこ)か周辺の漁港からの釣り船でしか入れない。

 現在、地元のボランテイア・グループが遺跡を整備しています。
  通行止案内板


  2018年8月現在、地権者により車道からの通行進入が阻まれている。

 大迫から道が付いているので、小型乗用車なら行けますが、危険です。
 細い山道で断崖上にあり、危険だが、実際は通行できる。駐車スペースもある。
 現在〈2018〉は車道からは入れない

  米軍撮影「亀ヶ首」(写真右端の半島)  「亀ヶ首」4試射場 位置図

  倉橋島・大迫・亀ヶ首  「亀ヶ首試射場概念地形図」

  本射場の地形図  西射場の地形図 (原図を北を上に回転)
  北射場の地形図  松ノ浦射場の地形図 (アジア歴史資料センター蔵)

  本射場の設備略図(阿部源市)  本射場の現状・概念図(坪田 孟)
《上記の本射場の方角を一致するには、阿部図は右90度、坪田図は180度回転で一致。》

  T、亀ヶ首試射場の概観

 呉海軍工廠・亀ヶ首試射場は呉海軍工廠で製造された魚雷や艦砲・機銃などの
火器の性能実験や防禦構造の耐爆試験を行うため設立された実験場である。
 日露戦争後から第2次世界大戦の開始期までは、世界的に「大艦巨砲」時代で、
「亀ヶ首試射場」が整備され、軍備拡大の最先端を担ってきた時代でもある。
 この時期は、日本の中国侵略が本格化した時代でもあり、日本海軍は米英と対立して
建艦競争をした時代でもあった。
 しかし、第1次大戦後の国際社会は、平和と軍縮も推進され時代でもあったので、
艦船数で劣勢な日本は、米英に勝る「巨砲」で対抗しようとした。
 まず「巨砲」があり、それを積載できる「大和」の設計・建造が行われた。
 この「巨砲」を実用化するための試験場が亀ヶ首試射場であり、また「大和」の
舷側甲鈑や砲盾など防禦構造の耐爆試験、炸薬実験など「亀ヶ首試射場」がなければ
「大和」もなかった訳である。
 亀ヶ首試射場で実験を繰り返し、優秀な技術を手に入れたことが、呉海軍工廠が
他の工廠をリードしてきた隠れた真実である。
 「大和」の建造で厳重な秘密管理が行われたが、亀ヶ首試射場はさらに厳重な軍事機密
の保持が図られたため、亀ヶ首試射場の全貌は世に知られないままに今を迎えている。
  亀ヶ首試射場イラスト『港町から』第1号 特集瀬戸内海倉橋島・林文則氏

  歴史群像 2000年春・夏号

   古老の証言 (「島のまち」再発見で「秘密基地の記憶」管信博さん)
      試射場と大迫集落/主な性能試験

U、倉橋島 大迫地区 亀ヶ首に試射場が設置された理由

1、長距離の弾道試験で四国方面まで延びる長い射線が取れた    射線図参照
2、途中に多くの島があり、観測所を設け、実験記録をとることができた
3、前面に広い海域があり、船の航行も少なかった
4、山に挟まれた適度な平地は、地形的にも砲弾試射に適していた
5、背後は山地で、船以外の交通は困難であり、軍事機密を守るのに適していた
6、呉海軍工廠からの距離も近く輸送に便利だった、事などであろう。

V、試射場の建設と拡充、荒廃の歴史の概略

第1期、日清戦争後、兵備独立を念願して呉兵器製造所を急設、設備の創成を図った。
第2期、第1次世界大戦後の海軍拡張競争を反映。太平洋戦争に備え施設が拡充された。
第3期、敗戦による呉海軍工廠の廃止。戦後の混乱で資材は略奪。施設は破壊・放置された。

  《詳しい年表》
     「亀ヶ首試射場」関係年表を参照

W、「戦災遺跡」としての「亀ヶ首試射場」

 単なる戦争遺跡ではなく、「戦災遺跡」として注目される理由は、
1、爆発事故などで亡くなった人が多かった
2、試射のたびに漁業中止命令がでて、漁民の経済被害があった
3、毒ガス兵器の実験が行われていた
4、戦後、米軍による調査・研究と施設の略奪・破壊が行われた、ことなどによる。


  《参照:米海軍訪日技術使節団報告》

    日本軍18インチ砲並びに砲架  翻訳:神垣惟秀
      戦艦『大和』の主砲の構造と操作法、運用などを精査した報告書

    亀ヶ首海軍試射場における爆弾射撃  翻訳:神垣惟秀


 「戦災遺跡」(戦争被害・災難をもたらした遺跡)についての詳しい内容は、

    「戦災遺跡」としての「亀ヶ首試射場」を参照


X、《亀ヶ首の現状》

   亀ヶ首試射場の現状《写真》  (2010年2月)

        亀ヶ首北試射場の現状《写真》  (2011年4月)

亀ヶ首試射場の現状《ビデオ》 (15分) (2007年8月)
   撮影著作:空井英憲(呉市東畑2−4−29)
   ガイド:倉橋観光ボランテイアガイドの会 会長 松本憲治
   30分の作品を15分に短縮編集責任:朝倉邦夫


  《新聞報道紹介》

  朝日新聞  朝日新聞

   
《関連書物紹介》

   倉橋町史 (倉橋町)   口絵 9-32(旧・三窟全景)
    第7章 8 呉海軍鎮守府設置と倉橋島

   歴史群像 2000年春・夏号
    亀ヶ首を特集した「歴史群像」2000年春・夏号の《記事》 1、  2、  3、  4、
    および   「歴史群像20」(大型戦艦2)1998.11. 学習研究社刊
     《記事》 亀ヶ首射場と戦艦「信濃」用主砲  参照

  『港町から』第1号 特集瀬戸内海倉橋島 (KK 街から舎 刊)
  「戦艦大和の主砲試射場だった 亀ヶ首・秘密実験基地」  迫越将史(元倉橋町教育長)
    (「島のまち」再発見「秘密基地の記憶」 管信博(倉橋町史執筆委員))

  「呉・江田島・広島 戦争遺跡ガイドブック」 奥本 剛 (光人社 刊)
   「亀ヶ首射撃実験場」


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