海上自衛隊呉地方総監部(旧・呉鎮守府)の見学


総監部正門  総監部沿革・案内板  日曜日の見学手続き(10:30,14:00)

防火用水槽  防火用水槽2  石材の由来銘   総監部正面全景

総監部正面入り口左横  総監部正面ドーム屋根 案内板参照。

  ドーム屋根は、1945(昭和20)年7月1日の呉市街地焼夷弾空襲の時に焼失し、 1999年11月改修。

  庁舎裏  庁舎裏の北側入り口  庁舎裏の入り口

  総監部下の階段下左横の地下壕  総監部下の地下壕入り口

 7月1日夜の呉市街空襲の際、市民に「海軍を守れ」と命じ、空襲の際にも消火せずに
避難することを禁じていたので逃げ遅れた市民の被害が多くなった。

 一方、呉鎮守府兵士たちは、いち早く地下防空壕に避難し、消火活動をしなかったので、
本庁舎・屋上のドーム、その他の庁舎が焼失した。

  また、市民を保護する避難誘導をする所か、市民用の防空壕に入りこんだので、
市民が防空壕に入れ切れなくなり、犠牲を増やした。

  呉鎮守府庁舎裏の地下壕入り口  地下壕入り口 地下壕階段

  階段奥   報道機関にのみ公開された階段奥(2017.7.)

  2017年7月 これまで立ち入り・見学禁止の地下壕の一部を公開した。

  公開された案内図 地下司令部などと称して、入口付近の資材倉庫の一部のみを公開し、
ここは地下司令部の在った所で、巨大な作戦パネルがあり、作戦指揮をしたと解説した。

 だが、実際はどうであろうか?
呉鎮守府航空写真 1945(昭和20)年4月12日、米軍撮影

公開された「地下指令部」は写真から見ると資材倉庫であり、地下司令部などではない。

  地下作戦司令室図(中国新聞記事から)空襲時に司令部を移動したのは別の場所だった。

地下壕上部の空気穴  空気穴  空気穴

  (参照)  隣接する呉海軍工廠造船部の換気穴

  (比較・参照)海軍省地下司令部  日吉台地下壕保存の会

  日吉台の換気塔・出入り口  日吉台の換気塔・出入り口(MRさん提供)

  日吉台の換気塔は1トン爆弾の衝撃に耐えるように作られているが、
  呉の地下壕の換気塔は、簡単な作りで、大型爆弾の衝撃を想定した造りになっていない。

  総監部下の階段下右横の慰霊碑 見えないが、この奥は地下壕入り口だった。

  総監部右横の旧庁舎 その他

  総監部アンテナ遠望  総監部左下デジタル通信アンテナ

  地下司令部はこの裏側の横穴に在った。  地下司令部から前方・IHI造船所を見る

  「歴史の見える丘公園」歩道橋から総監部をみる(南から北方向を写す)

  IHI(旧海軍工廠)クレーンの右、総監部の2本の紅白の鉄塔は無線アンテナ通信塔、
その右下のレンガ色と白い建物、右側のパラポラアンテナは通信施設で、その地下や
後方の森の地下は旧地下指令部があった所。中央森の右後方は本庁と地下壕がある。
戦後、米軍が呉鎮守府を接収し、この地下司令室などを通信基地として使用していた。
鉄塔中段右のレンガ色は大和ミュージアム、その右の黄土色・空色ドームは呉中央桟橋(旧揚陸場)

  正門前の歩道橋から見る  海側から見た総監部(西側から東側をみる)

赤い鉄塔とパラポラアンテナ、その奥の地下指令部壕と左奥の赤レンガの総監部、小型艦艇の船溜まり

  背後の山は、休山(やすみやま、旧・砲台跡)公園。海上保安庁突堤から写す。


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