4枚の写真への思い

 この連続撮影の写真4枚は、昭和20年3月19日に呉が初めて
空襲を直接受けたときのものである。
 写真の原板は、呉を空襲した元米軍兵士の家族が友人に提供し、その友人が日本の友人に
提供したものが、巡りめぐって私の手元に届けられた貴重な写真である。

 これらの写真は、多くの市民や日米両軍の兵士が亡くなっていった呉の悲惨な
空襲の歴史の最初の1ページを写したものである
とともに、後に焼け野原となる市街地や、大きな被害を受ける前の呉海軍工廠の
最後の写真となった。
そのうち6回は大規模なものであった。
 これにより呉市民は、2,062人(『新編広島県警察史』1954年)が犠牲となった。
これは軍関係者を除くもので、軍関係者の死者の数は未だに不明なのである。
 この呉の地と、海と、空で、多くの人々が亡くなっていったことを、
我々は決して忘れてはならない!
 そして、我々には未来永劫、この歴史を語り継いでいく義務かおる!

                    相原 謙次



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