米軍側資料V


 米海軍訪日技術使節団 「日本の諜報目標」についての報告

    (U,S,NAVAL TECHNICAL MISSION TO JAPAN O-39-1, O-45(N))
             所蔵:アジア歴史資料センター

《注記》
  米海軍訪日技術使節団報告書について
   国立国会図書館】所蔵  憲政資料室
米海軍訪日技術使節団報告(U. S. Naval Technical Mission to Japan)は、
日本、中国及び南朝鮮において日本海軍のために行われたあらゆる科学技術の開発を調査するために、
1945年8月14日にキング米合衆国艦隊司令長官兼海軍作戦部長の指令により設置された。
使節団は、同年9月23日にホノルルから佐世保に到着し、同地に本部を置き、 各地に技術諜報班を派遣した。
同年11月1日には、佐世保では情報収集や連絡に支障があるという理由で、
本部を東京(芝浦停泊中のブラックフォード艦上と明治生命ビル)に移した。
調査は、海軍情報部(Office of Naval Intelligence, ONI) が終戦前に準備した
海軍省各局の希望する情報及び特別に調査すべき対象をとりまとめたリストに基づき
1945年9月に海軍作戦部長が作成・配付したIntelligence Targets Japan(「日本の諜報の対象」)に従って行われた。
使節団のスタッフは、日本各地の海軍関係施設を訪問して、調査対象(特定の物又は技術的事項)について調査し、また日本海軍の元技術者等の尋問を行い、必要があれば文書や装備のサンプルの接収も行った。 この調査の結果は報告書にまとめられ、報告書の草稿は1946年2月までに完成し、その後、
日本国内には設備がなかったためホノルルの太平洋地域統合情報局で添付の図面の作図・印刷作業が行われた。
同年3月には日本国内での調査が終了し、残ったスタッフも日本を離れ、本部はホノルルに移された。
1946年11月に使節団は解散した。 同使節団は、解散までに総計655人のスタッフを擁し、185本の報告書をまとめ、
約3,500の文書を接収しワシントン・ドキュメント・センターと海軍省技術局に送付し、
約15,000の装備を接収し米国に送付した。
(History of Mission, U.S. Naval Technical Mission to Japan(1948)所収の
"Historical Narrative of U.S. Naval Technical Mission to Japan" による)


  T、日本軍の大砲に関する調査、
 日本軍の18インチインチ砲並びに砲架


                 神垣惟秀 訳


            米海軍訪日技術使節団
             米国海軍郵便局気付
         サンフランシスコ、カリフォルニア州
部外秘

報告者:米海軍訪日技術使節団長
報告先:海軍作戦部長

主題 :目標報告   日本軍18インチ砲並びに砲架
参照 :(a)「日本の諜報目標」(DNI),1945年9月4日

  1. 参照(a)分冊O-1、目標O-45(N)に関する主題報告をここに添付する。

 2. 目標の調査ならびに報告は(E) G.J.スチワルト海軍中佐、RN, 及び米国海軍予備軍
    J.レイマン少佐によるものである。


                   C.G. グライムズ
                   米国海軍大佐



部外秘                          O-45(N)

             日本軍の18インチ砲架

  「日本の諜報目標」(DNI),1945年9月4日

             分冊 O-1, 対象 O-45(N)


               1946年2月


            米海軍訪日技術使節団



部外秘                            O-45(N)

               概要
               兵器目標

           日本軍の18インチ砲並びに砲架

  46センチ(18インチ)3連砲架は日本軍がこれまでに設計、製造した最初の大型砲架である。
それは第1次世界大戦前に設計され、戦艦「金剛」のために建造された大型のイギリス式砲架とは異なるものである。
事故防止には訓練第一主義で当たった。
我々一同は大砲の大きさを考慮しても、砲塔機械装置全体の設計に安全性が重視され過ぎたのではないかという印象を受けた。
その結果、砲塔1基の旋回部の合計が2510トンという非常に重い砲架となった。
  この規模の大砲にしては非常に満足すべき発射速度が得られた。
つまり最大仰角で毎分1.5発であった。3,220ポンドの弾丸で46,000ヤードを僅かに下回る最大射程が得られた。

  砲架の最も興味深い特徴は
 (a)弾庫・給弾室に於ける弾丸の格納、移動の方法。
その際、割に簡単ではあるが大きくて重量のある機械装置が使用されていた。
 (b) 揚薬筐並びにランマー。ランマーストローク1回で装薬全量の装填が可能。
 (c)スライドへの昇降ピストン・ロッドの装着。これは複雑なスライド ロッキング ギアを不必要にし、スライドのロック、ロック解除に通常必要とされていた時間を省き、装着サイクル時間を短縮しようとして設計されたものである。

  その他の注意すべき機械装置を次に挙げると

 1.装薬を固定構造物から移動構造物へ移すための装薬ボキー車並びに機械装置
 2.砲塔弾丸ボギー車並びにランマー
 3.通常の摩擦円板の代わりに「コースター」ギアを用いたウオームレス旋回ギア
 4.電線引き込み装置

  砲塔内では防炎に対しては隅々まで大きく注意が払われたと日本人は証言をしている。
恐らく米国、英国の標準には達していなかったと思われるが完成した砲塔をみた訳ではないのでこの点に関して明確な意見を述べることは困難である。
稼働中の砲塔の性能は非常に満足すべきものであったと日本人は考えていた。
ただその際、旋回装置、揚薬装置には日本人には入手困難であった大量の潤滑油が必要であった。
一斉射撃の散布界はわりと小さく最大距離が約500?600ヤードであった。
爆風効果は特にブリッジで非常に強烈であることが判った。

  「大和」と「武蔵」の18インチ砲は対航空機戦並びに砲撃用に使用された。


NTJ・L・O-45           1



O-45(N)                             部外秘

  作動中のこれら砲塔の一つ、いや完成した砲塔さえも我々は見たことがないのだから、その性能について、あるいはすでに上述している事項以外に武器としての価値について、ここに別の見解を表明することはしない。
しかしながら当該日本人の供述は十分に根拠があるものと考えられる。

                目次

概要 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   p.1
目次 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   p.2
同封物品一覧表 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・p.2
イラスト一覧表 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・  p.3
参照 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   p.5
はじめに ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  p.7
報告
  第1部 大砲・砲架の歴史、概括的記述並びにデータ ・・・p.9
  第2部 砲架についての詳細な記述       ・・・・・・・p.19
  第3部 性能についての種々の情報並びにメモ  ・・・・p.57



          同封物品一覧表


(A) アメリカ合衆国へ輸送されたる装置   ・・・・・・・・・ p.59


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部外秘                             O-45(N)

            イラスト一覧表

第 1図. 19インチ45口径砲 ・・・・・・ ・・・・・・・ ・・・ p.10
第 2図. 19インチ45口径砲・・ ・・ ・・・・・ ・・ ・・ ・・・ p.10
第 3図. 19インチ45口径砲・・・ ・・・・・ ・・・・・・・ ・・ p.11
第 4図. 18インチ砲、全体像・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・ p.11
第 5図. 18インチ砲、全体像・・・ ・・・ ・・・・・・・ ・・・・ p.12
第 6図. 18インチ砲、全体像・ ・・・・ ・・・・・・ ・・・・・・ p.12
第 7図. 「大和」、「武蔵」の大砲及び砲塔の甲板配置図 ・ ・・ ・・p.13
第 8図. 18インチ砲架全体像・・・ ・・・・ ・・・・・・ ・・ ・・p.14
第 9図. 18インチ砲架全体像・・・ ・・・・・・・ ・・・・・ ・・p.14
第 10図. 18インチ砲架全体像 ・・・・・ ・・・・・・・ ・ ・ p.15
第 11図. 18インチ砲架全体像・・・ ・・・・・ ・・ ・・・・・ ・ p.15
第 12図. 18インチ砲架断面図、全体的配置図 ・・・ ・・・・・ ・・p.20
第 13図. ケーブル引き込み装置・・ ・・ ・・・・・ ・・ ・・・・・ p.21
第 14図. 18インチ砲架。火薬庫及び上部給薬室設計図 ・ ・・ ・・・ p.22
第 15図. 「大和」の火薬庫及び弾庫配置図 ・・・・・・・ ・・・・・ p.23
第 16図. 給薬装置詳細図・・・・ ・・・・・ ・・ ・・・・・ ・ p.24
第 17図. 18インチ砲架上・下部給薬室 ・・・ ・・・・ ・・・・・・ p.24
第 18図. 18インチ砲架上・下部給薬室・・・ ・・・・・・・・・・・ p.25
第 19図. 18インチ砲架上部給薬室・・・・・ ・・・・・ ・ ・・・・ p.25
第 20図. 18インチ砲架上部給薬室・・・ ・・・ ・・・・・・ ・・・ p.26
第 21図. 18インチ砲架下部給薬室・・・ ・・ ・・・・・・・ ・・・p.26
第 22図. 18インチ砲架。装薬ボギー車・・・ ・・・・ ・・・・・・・p.28
第 23図. 18インチ砲架。装薬ボギー車・・・ ・・・・・ ・・ ・ ・ p.28
第 24図. 18インチ砲架。揚薬ラック並びにギヤ ・・・・ ・ ・ ・ p.30
第 25図. 揚薬ウインチ   ・・・・ ・・・・・ ・・ ・・・・・ ・ p.30
第 26図. 18インチ砲架。揚薬ウインチ・ ・・・ ・・・・・・・ ・・ p.31
第 27図. 下部給弾室設計図 ・・・・・・ ・・・・ ・・・・・・ ・・ p.32
第 28図. 18インチ砲架。弾丸「プッシュプル」装置 ・・ ・・・・  p.32
第 29図. 18インチ砲架。揚弾筒入口・・・ ・・・・・ ・・・・ ・・ p.33
第 30図. 18インチ砲架。弾丸「プッシュプル」装置一式・・ ・・・・ p.33


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O-45(N)                            部外秘

第 31図. 18インチ砲架。弾丸[プッシュプル]装置   ・・・・・p.35
第 32図. 18インチ砲架。弾丸移送ボギー車     ・・・・・・p.35
第 33図. 18インチ砲架。換装台   ・・・・・・・・・・・・・p.38
第 34図. 砲塔内弾丸移送図   ・・・・・・・・・・・・・・・・p.38
第 35図. 18インチ砲架。弾丸ボギー車及びランマー    ・・・p.39
第 36図. 弾丸ランマー    ・・・・・・・・・・・・・・・・・p.39
第 37図. 18インチ砲架。砲塔弾丸ボギー車及びラン    ・・・p.40
第 38図. 18インチ砲架。砲塔弾丸ボギー車及びラン    ・・・p.40
第 39図. 揚薬筺    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・p.42
第 40図. 装薬ランマー    ・・・・・・・・・・・・・・・・・p.43
第 41図. 旋回装置    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・p.43
第 42図. 旋回ピニオン詳細図   ・・・・・・・・・・・・・・・p.44
第 43図. 旋回ラック詳細図   ・・・・・・・・・・・・・・・・p.44
第 44図. 18インチ砲架。旋回エンジン   ・・・・・・・・・・p.45
第 45図. 18インチ砲架。旋回エンジン     ・・・・・・・・p.45
第 46図. 18インチ砲架。旋回エンジン   ・・・・・・・・・・p.47
第 47図. 18インチ砲架。旋回エンジン    ・・・ ・・・・・・p.47
第 48図. 18インチ砲架。旋回エンジン     ・・・・・・・・p.48
第 49図. 俯仰シリンダー   ・・・・・・・・・・・・・・・・・p.48
第 50図. 俯仰装置    ・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・p.49
第 51図. 信濃用18インチ スライド   ・・・・・・・・・ ・・p.49
第 52図. 18インチ旋回盤・・・    ・・・・・・・・・ ・・・p.51
第 53図. 18インチ旋回盤   ・・・ ・・・・・・・・・・・・・p.51
第 54図. 信濃用18インチ旋回盤 ----半完成品  ・・・・・・・p.52
第 55図. 信濃用18インチ旋回盤 ----半完成品   ・・・・・・p.52
第 56図. 信濃用18インチ旋回盤 ----半完成品   ・・・・・・p.53
第 57図. 信濃用18インチ旋回盤 ----半完成品   ・・・ ・・・p.54
第 58図. 砲塔旋回盤    ・・・・・・ ・・・・・・・・・・・p.54
第 59図. 下部ローラーパス及び鞍耳シャフト   ・・・・・・・・p.55
第 60図. 鞍耳ブラケット    ・・・ ・・・・・・・・・・・・・p.56
第 61図. 信濃用18インチ スライド   ・・・ ・・・・・・・・p.57


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部外秘                           O-45(N)

                参照

目標場所: 呉の南西約15マイルにある亀ヶ首試射場

文書蒐集協力日本人名

   文書の蒐集は出来なかったが、次の各氏提供の統計的データ、
   記憶によって各種のスケッチが作成された

     T.オタニ氏,呉海軍工廠技師
     R.スギヤマ氏,呉海軍工廠技師
     イワシマ大佐, ダテ大佐, マキノ大佐。
       いずれも、もと日本海軍砲熕技術将校。 現在、復員省 (東京)

尋問日本人名
  イワシマ大佐、1938年来、海軍技術部砲熕弾薬部長、東京。
    英語は読み書きは出来るが会話はできない。

  ダテ機関技術大佐、海軍技術部砲架設計課長、東京在住。
    呉からの情報を訂正、加筆するのに尽力。英語の会話力良好。(伊達勝一)
  ヤスナミ技術大佐、1943年来、呉海軍工廠砲熕部砲熕設計部主任。
    海軍兵学校で砲熕(砲・砲架)技術者として教育され、
    呉での尋問対象者選出にも力となった。
    英語は少ししか話せないが、フランス語は十分に通じた。
    しかしながら、18インチ設計についてはあまり詳しい知識がない。

  トヨキチ オタニ氏、呉海軍工廠砲熕部民間技術者。海軍中佐クラスの階級を保有。
   見習い製図工として呉海軍工廠砲熕部で1906年に仕事を始めた。
   以来、大口径砲架や水力機関の設計に従事し、中佐に該当する「技術者」という地位にあった。
   18インチ砲架の設計に実際には就かなかったけれども、その構造にはかなりの知識を有す。
   機械設計や機械工学についての著書が数冊あり、真に有能、勤勉な技術者と見受けられる。
   非常に協力的で英語の読み書きも十分に出来るが、話したり聞いたりは殆ど出来ない。(大谷豊吉)

  リュスケ スギヤマ氏,大谷氏と同じような経歴の持ち主。
   海軍少佐クラスの階級を保有。
   18インチ砲架主任設計者のもとで働いていた。
   18インチ砲架について詳しく、協力的であった。
   惜しいことに英語は通じない。(杉山龍作)

  S. マキノ(牧野茂)海軍技術部造船大佐、東京在住。英会話堪能。
    火薬庫・弾庫の設計並びにリング隔壁構造について情報を提供した。


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O-45(N)                           部外秘

  マエノ氏、呉海軍工廠砲熕部技師、退職後広島在住。
   18インチ砲架の砲鞍並びにそり盤設計の責任者であった。
   しかし情報はあまり役 立たなかった。

  マツムラ少佐、呉海軍工廠砲熕部。徳島工業専門学校卒。
   砲熕エンジニアリングの専門家。
   18インチ砲架についての知識豊富にして、英語も上手だ。

  ハラオ カタオカ技手、呉海軍工廠砲熕部。大砲の建造を監督す。

  ミツイ大佐、呉海軍工廠砲熕実験部長。砲弾並びに信管の専門家。

  キチロ クロダ大佐、「大和」沈没時の砲術将校。
   本艦の銃砲資材についての知識は僅少であった。


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部外秘                           O-45(N)

             はじめに

長い間議論されてきた「「大和」と「武蔵」は何インチ砲を積んでいたのか」という疑問への答えが出されたのはつい最近である。
それは18インチ、45口径砲であった。本報告の主題でもあるが、我々の調査の目的は次の2点であった。

  1. 18インチ砲の内部、外部の弾道学的特性データ並びにその建造方法に関する全般的情報を得ること
  2. 砲架に関して出来るだけ多くの詳細な情報を得ること

1945年11月23日、海軍技術部砲熕課主任、イワシマ日本帝国海軍大佐(東京)との予備的会談で18インチ砲についてのデータが少しばかり得られた。
彼にはおよそ50項目からなる質問表が渡された。
18インチ砲・砲架並びに1927年以来日本海軍で使用されてきた他の全ての砲・砲架の顕著なる特徴は何かを問うものであった。
残念ながら回答が寄せられるまでには5週間も経った。
その間に呉で調査が実施されていた。砲・砲架はこの地で建造されたのだった。
米海軍訪日技術使節団は既に呉でヤスナミ技術大佐(呉海軍工廠海軍砲熕部主任)が自発的に用意した小冊子を受け取っていた。
冊子にはかなり大量の砲・砲架に関する統計上のデータが含まれていた。
我々はこれらを点検し、また多くの場合、変更を加えて本報告に取り入れた。

  砲・砲架の書類、図面は全て爆撃で粉砕されたかあるいは意図的に焼却されたと言われている。世評に反証を挙げることは出来なかった。
従って、本報告の全ての情報は大砲及び入手した砲架の部分的な構造物を目視検査して得たものか、あるいは日本人との討議によって得られたものである。

  ヤスナミ大佐の第1回尋問で、半完成の旋回盤と「信濃」用18インチ砲数基が亀ヶ首の試射場のひとつに、さらに砲塔旋回エンジン数基が海軍工廠にあるはずだと判明した。
砲架のうちで残っているのは、彼と彼の助手たちが知る限りこの旋回盤しか無いとのことであった。
しかしながら第1回試射場訪問の結果、大佐の証言が不正確であることがわかった。
旋回盤がもう1つとテスト砲架用上下給薬・給弾室も発見されたのである。
これらも部分的にしか完成をしていなかった。その後、幾度か訪問をしたが、木箱に詰め込んだ回転盤装置の部品が続々と発見された。
この機械類の大部分は調査が困難であった。
何しろ非常に重い木箱に入れて、積み重ねてあったのである。
強力なクレーンがないので、(利用可能な1基も不調であった)これらを片付けたうえで、開けて調査するということは不可能であった。
我々は仕方なく、荷箱側面の弱い箇所があればそこを破り開けることにして、出来るだけ注意深く調査をした。

  呉の日本人関係者は5週間にわたってこの砲架やその他について尋問を受け、
次に機械装置のより興味深い部分の略図作製をすることになった。

  日本人に砲架の詳細かつ包括的な描写を製作させる試みは全く無駄であることが分かった。
(ついでに言えば、砲架のどの部分についても無理だった。)非常に粗略な答えしか出てこなかったのだ。
その理由は、日本人が情報の留保を意図したからでは決してなく、ただ、彼らの発想法が異なっていたことと、
もうひとつの理由は全ての情報が記憶にしか頼れなかったということである。


                7



O-45(N)                            部外秘

  1946年1月、東京帰着後、伊達技術大佐からさらに情報が得られた。
大佐は砲架に関する完璧な知識としっかりとした英語力とを備えた非常に有能な技術者である。
呉で得られた多くの見解や印象が彼によって解明され、また訂正もされた。
     報告の第1部には砲・砲架の包括的な記述と統計データを載せ、第2部ではさらに詳細に砲架を対象としている。


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O-45(N)                           部外秘

               報告

               第1部
        大砲・砲架の歴史、概括的記述並びにデータ

A. 歴史

1. 第1次世界大戦後程なくして呉海軍工廠と所属する亀ヶ首試射場では45口径48センチ(18.9インチ)砲への取組みが始まった。
この砲は砲尾付近でしかガンワイヤが巻いてなかった。最初の砲は試験発射中に破裂して,2番目が建造された。これは1945年12月にまだ亀ヶ首に残っていた(第1、2図)。

なおその砲鞍とスライド(第3図)も残っていた。これらは第1次大戦前に建造された英国の15インチ設計を模倣したものである。
48センチ砲の建造はワシントン条約によって中止となり,以後12年間日本で話題になることはなかった。

2. 1934年、新戦艦「大和」「武蔵」に搭載すべき装備の問題とともに大型艦砲の議論が日本で再開された。
 48センチは重量があり過ぎて適当ではないと思われたが、合衆国の(16インチ)砲戦艦に決定的な優位を得るために結局46センチ(18.11インチ)が選ばれた。
何が何でも16インチ砲の上を行かねばならないという考えであった。
砲 (もっと正確に言えば砲尾機構)は計画開始年にちなんで94型と命名され、
実際の口径を隠すために常に94型45口径40センチと呼ばれた。

3. 18インチ砲並びに砲架の設計が完成し、1939?1940年に建造が始まった。
設計作業は主として故C.ハラダ技術者の努力によった。
彼は1943年に亡くなるまで40年間にわたってほとんどの日本海軍大型砲架設計の責任者であった。

4. 18インチ戦艦は当初、「大和」「武蔵」「信濃」の3隻を建造する計画であった。
「信濃」は横須賀で建造中に空母に変更された。各艦とも第7図に示すように18インチ砲9門、3連装砲塔3基を搭載していた。
標準排水量約70、000トン、軸出力 150,000 で計画速力27ノット、水線長256メーター(838フィート)、最大巾6.9メター(121フィート)であった。
「大和」は試運転 で27.7ノットのスピードに達した。

5. 18インチ砲並びに砲架は全て故M.オヤマダ技術者とT.イト?大将の監督のもとに呉海軍工廠砲熕部で建造された。
建造された砲架の数は次の通り:完成砲架6基、砲塔のピットテスト用にだけ目的をしぼって完成されたテスト砲架1基(第8、11図)、
「信濃」用部分完成の旋回盤1基(第54?57図)及び同艦砲塔の全ての砲鞍,スライドを含む多数の機構部分(第46、48,51、61図)。
6. 砲は全部で27門ばかりが建造された。18門が「大和」と「武蔵」とともに失われた。
亀ヶ首のテスト砲2門は合衆国軍の武装解除命令を受けて1945年11月に破壊された。
未完成のものを含めて残りの7門が亀ヶ首北方入り江の浜で発見された。
うち2門は合衆国へ発送済みで、残りは破壊される予定であった。
この7門は「信濃」用に呉工廠で建造していたもので,完成、未完成砲及び部分、建造用特殊機械などがすべて入り江へ移動,
保管されたがメンテナンス,防錆対策は殆ど取られていなかった。

                9



第1図/ 亀ヶ首試射場:19インチ45口径砲

第2図/ (第1図と同じ)


                10




第3図/ 19インチ砲用スライド
(A)後部砲鞍用上部キャップ (B)前部砲鞍 (C)後部砲鞍(下方部分)

第4図/ 亀ヶ首:18インチ砲(バランスウエイト未装着)

                 11



第5図/ (第4図と同じ)

第6図/ 18インチ砲(バランスウエイト無し)、組立砲尾機構を示す


                 12



第7図/ 砲塔並びに砲架配置図

                 13

第8図/ 亀ヶ首:18インチテスト砲架

第9図/(第8図と同じ)

                 14


第10図/18インチ上部・下部給弾室(テスト砲架)外観
    (A)上部給弾室 (B)下部給弾室 (C)バランスウエイト

第11図/ 18インチ・16インチ砲スライド全体像
    (B)給弾室 (C)18インチ砲スライド (D)16インチ砲スライド

                 15



O-45(N)                          部外秘
B. 概括的記述並びにデータ
 1. 砲熕
  a. 概略
  呼称 ………………………………... 94式45口径40cm砲
  実際の口径………………………………….46cm(18.11 inch)
  全長 ………………………………… 69フィート11.5インチ
  重量(砲尾込み)…………………………………363,000 ポンド
  b. 建造
  砲身の製造にはガン・ワイヤ巻付けと半径方向膨張という2つの工程が必要であった。
 #2A鋼筒の長さは18インチ砲の全長と同じ。
#3A鋼筒をこれに重ねて収縮させる。長さは砲尾から全長のおよそ3/5に達した。
これら2本の鋼筒にはガン・ワイヤ巻付けを施し、砲口からおよそ半分かえったあたりにリングを装着す。
#4A筒の長さは砲尾からおよそ2/3,#5A筒は砲尾と薬室の後部を包む。
発射時の熱膨張応力を緩和するためにベルヴィルシリコン鋼ばねを鋼砲の直径が変更されているスロープ部に取りつける。
最後に、#1A内筒を110,000~120,000 psiの水圧による半径方向膨張をさせて砲身が完成する。
砲腔は3つに分かれていて、3番目の砲尾に最大の膨張がかかった。

 2. ライナ挿入後、砲腔には旋条がつけられた。グルーヴは72本で、深さ4.6ミリ(0.181インチ)、均一のねじれ度で口径長28で1回転をした。
摩耗した時は、ライナを切削除去して、#1内砲を新しく挿入するほかなかった。
しかし、実際には、この工程には金がかかり過ぎるのでライナの付け替えは行わないで砲を廃棄した方が実用的だと考えられていた。

 3. 内部弾道学特性
   内腔横断面………..…….…………1698 sq cm (263.19 sq in)
   発射体動程………..……….…………… . 17.590 m (57.71 ft)
   薬室容積……………………… 480 リットル (29.290 cu in)
   実用圧力………….…. 30~32 kg/sq mm(19.1~20.4 tons/sq in)
   発射体重量
 (AP )……….......1460 kg (3220-lb) 2m/d3 ……. 1.08
 (IS ) ……………..1360 kg (3000-lb) 2m/d3 ……. 1.01
  砲口速度
 (3220-lb)…………………… 780 m/sec (2556 ft/sec)
 (3000-lb)…………………… 805 m/sec (2640 ft/sec)
   実用装薬……………………………………….330 kg (728 lb)

  訓練・標的射撃用には減量装薬も供給された。
その場合には「減量」及び「弱性」と表示された。
「減量」では実用速度のおよそ2/3、esr値1/4,「弱性」ではesr値 1/2であった。
大砲の寿命は厳密には決められていなかったがおよそ200?250esr値(実用発射等価値)という見積もりであった。
実用装薬はコルダイトで、1発に6袋を使用した。
袋は1942年まではウールであったが、以降は絹が使用された。
袋の一方の端へはさらに点火薬または500グラム(1.1ポンド)の黒色火薬を詰めた別の小袋が入れられた。
この端は赤く染められ、常に砲尾に向けて装着された。

 4. 外部弾道学特性
46センチ砲用の射距離表は回収できなかった。
尋問をした日本人将校は1945年8月に全ての海軍射距離表は焼却されたと主張した。
しかし、次のような実用装薬使用46センチ砲弾道の詳細が入手できた。

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O-45(N)                           部外秘

    仰角     射程(ヤード)   飛翔時間(秒)

    10°     18,410     26.05
    20°     30,530       49.21
    30°     39,180       70.27
    40°     44,510       89.42
    45°*     45,960       98.6
    48°     46,050 **     104
    50°     45,790       106.66 * (設置時最大仰角) ** (最大)
 46センチ砲が3連装砲架へ砲腔間隔350センチ(11.48フィート)で搭載されるに際し、中砲の発射回路には0.08秒の遅延時間が導入された。

 5.砲架&各種データ
  a. 重量(メートルトン)
  3砲及び砲尾機構…………………………………..495トン
  俯仰装置の残り…………………………………….228トン
  旋回盤 (装甲板、砲及び俯仰装置を除く)………350トン
  旋回盤下旋回部の残り…………………………….647トン
  砲塔装甲板……………………...…………………790トン
      総回転重量           = 2510トン

  b. 砲塔装甲厚
    前楯…………………………………………650ミリ(25.6インチ)
    側板…………………………………………250ミリ(9.85インチ)
    後板…………………………………………190ミリ(7.45インチ)
    天蓋……………………………………… 270ミリ(10.63インチ)

  c. 寸法
     ローラーパス 直径 (内部)……11.500メータ(37.72フィート)
            (外部)……13.050メータ(42.8 フィート)
     ローラーパスより砲中心線までの高さ4.40メータ(14.43 フィート)
     回転中心点より鞍耳までの距離
      (船首尾方向)……………   3.250メータ(10.68 フィート)
     砲中心線間隔……………… …  3.50メータ(11.48 フィート)
     後座長  ……………………………1.430メータ(4.69 フィート)

  d. 発射速度 (第2部,C, 27項参照)
         最大仰角にて毎分1.5発。
         装填角度は仰角3°に固定。

  e. 動力供給装置
 ターボ水圧ポンプ3基 (及び予備1基) がリングメイン を介して下部給薬室の下にあるセンター・ピボットへ1000?1100 psiの圧力を供給する。
水が圧力媒体として使用された。このポンプについて、詳しくは米海軍訪日技術使節団報告、「日本海軍工廠の水圧ポンプ」、Index No.O-53(N)を参照されたい。
補助用の塔内ポンプは砲塔に設置されなかった。

  f. 砲塔距離測定器
    15メータ (49.2フィート)。仰角10°、自由照準 右 160ミル、左130ミル


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O-45(N)                            部外秘

  g. 砲側照準器
    10センチ望遠鏡 (各砲), フリー照準は砲塔距離測定器と同じ。

  h. 換気装置
    送風は2.5馬力ファン3基:排気は5馬力ファン5基による。

  i. 弾薬収容(第2部,C, 6項参照)
    180:旋回構造内弾丸数…………………………..各砲60発ずつ
    120:弾庫内弾丸数………………………………..各砲40発ずつ
    合計…………………………………………… 各砲100発ずつ

 6. 第12図は砲塔の立面断面図である。砲塔は建造、運送を5つの部分ごとに行った。
すなわち :..
     a. 中心ピボット及び電線「引き込み」装置 (第13図)
     b. 下部及び上部給薬室 (第14、21図)
     c. 下部及び上部給弾室 (第10、11,27図)
     d. 旋回盤 (砲塔デッキ、トラニオン ブラケット完備)(第8、9,52?60図)
     e. 砲塔装甲板

 7.火薬庫&装薬供給 (第2部,B, 1~14項参照)
  火薬庫は上部及び下部給薬室のまわりに設置されていた。
下部火薬庫は中砲にだけ給薬し、上部火薬庫は他の左右2砲に給薬をした。
水圧ウィンチ装置利用のワイヤ型揚薬筺ホイストによるものであった。
揚薬筺は給薬室から砲室までじかに運び上げられた。

 8.弾庫&弾丸供給 (第2部,C, 1~14項参照)
弾庫及び給弾室は火薬庫の上にあった。運び込まれた弾丸の半数は旋回機構内に格納され、半数は弾庫に格納された。
弾庫からは下部給弾室に供給されるだけであった。
 当区画では「プッシュプル」ギヤという独自の設計が弾丸移動用に使われた。
「プッシャー」型ホイストはいずれの給弾室からも弾丸を積み込んで、砲室まで運びあげることができた。
弾丸は縦置格納され、砲室内の換装筒に達して初めて倒され、横置された。
弾丸と装薬を装填するためには別々の砲室ランマーが使用された。
1発分の装薬は6袋に分けられていたが、たった1回のランマーストロークで装填された。

 9.砲塔の旋回 (第2部,C, 20~23項参照)
 砲塔はウォームやウォーム歯車ではなくて、平歯ピニオンギヤを使用して特殊500馬力垂直斜板カムエンジンで旋回された。
各砲塔内には2基の完全に独立をした旋回モーターが設置されたが、一度に1基しか使用されなかった。
      最大旋回速度=2°/秒

 10.揚弾ギヤ (第2部,C, 24~26項参照)

弾丸は通常のシリンダー・ピストン型揚弾ギヤを使って上げられる。
しかし、ピストン棒をスライドに接続する設計は、ピストン棒が砲に沿って縦方向に可動である点において斬新なものであった。

      最大上り速度=6°/秒(設計) 並びに8°/秒(実際)
      最大上下角度=+45°、+5°


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O-45(N)                             部外秘

 11.駐退機&推進機 (第2部,C, 31項参照)
各砲にはグリセリンと水使用の駐退機シリンダーが2台、空気推進機シリンダーが2台装備されている。
 更に、同じくグリセリンと水使用の追加シリンダー1台が推進機の速度制御のために利用 された。

 12.リング隔壁&装甲

リング隔壁が艦船へ取り付けられた最高位置は最下甲板上の下部給弾室レベルであった。この点から上は自由シリンダーであった。
主甲板は200ミリ(7.88インチ)装甲による装甲甲板であった。
火薬庫並びに給薬室は75?80ミリ(3 1/4インチ)厚鋼板の「三層艦底」によって水中爆発から防御されていた。

              第2部
          砲架についての詳細な記述

 A. センター・ピボット、高圧空気&ケーブル引込み装置

> 3層艦底に固定されたピボットの中心装着軸には水圧、排水部品がそれぞれ2個ずつあった(第12図参照)。
水圧は標準的な部品配列を通って、中心軸から下部給薬室に取り付けられた外部旋回部分ヘと向かい、ここから下部給弾室内の分配パネルへ行った。
下側から少し離れたところまで延びた。 この地点で標準型高圧空気中心ピボットに連結され、高圧空気は旋回機構の中へ取り込まれた。

  3. 電線は下部給薬室甲板上方の4個の穴(B)を通って、固定管(A)の中からその外へ出て、上部給薬室甲板(C)の下側にある旋回機構へと導かれた。

  4. 回転スリーブE1, E2 E3 E4を収容するために管(A)の外径は(D)点で減少された。
固定管(A)を離れた後、電線 (砲塔用に適切なたるみを持たせた)はクランプF でスリーブE1, E2 E3 E4の各底端部に固定をされた。
砲塔が旋回されたとき、電線はどの部分でも固定管(A)につけたみぞ(G), 回転スリーブE1底部のタングピース(H) 及び残りのスリーブ上の同様のみぞとタングとによってねじれ量が望み通りに制限された。

 B.火薬庫&給薬室装薬供給装置
  1. 第14、15図は火薬庫並びに給薬室の配置図で、第16図は給薬室の部分的拡大図である。

  2. 「大和」は最初就役したとき,第14、15図に見られる如く艦全体にわたる火薬庫間隔壁はなかった。
フィリッピン海戦の後初めてダメージコントロールという理由から隔壁が取りつけられた。


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O-45(N)                             部外秘

第12図/ 94型―18インチ3連砲架断面図


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第13図/ ケーブル引き込み装置


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                              部外秘

第14図/ 火薬庫並びに上部給薬室平面図

 3. 装薬は6分の1発分(重量121?132ポンド)ずつがラック(B)に水平に格納された(第14図)。
金属容器から移した後、人力で装薬ローラー・シュート(C)まで運び、縦一列に載せられた。
テスト砲架では、ラック格納場所(B)とローラー・シュート(C)間の距離は60センチであったが、狭すぎることが分かって80センチ?1メートルに伸ばされた。

 4. 装薬はシュート・ローラー上を手動で、押して回転防炎スカトル(D)の中へ入れられた。スカトルは長くて、1発分の6袋を縦 一列に並べることができた。
当初の設計ではスカトルは手で回転されていたが、時間がかかりすぎるので動力装置が装着された。
人力装置は予備として保存された。動力装置は油圧シリンダー・ピストンで、これにスカトルの回転軸でピニオンを連動させるラックが取り付けられた。
装薬移送ボギー車(E)がスカトルと同調して艦に固定されるまでスカトルは回転しないように機械的インターロックが装着された。

 5. 装薬移送ボギー車は当初全くの手動であった。この種のボギー車が第22図 23図に示されているが、
これは第17図 21図に示されたテスト用装薬室ギヤと稼働するように設計された。

 6. 第22,23図において、ボギー車は要するに台車(A), 旋回心軸トレイ(B) 並びにハンドル・トラバース装置(C)で構成されていた。
台車は簡単な「けた構造」であった。砲塔旋回構造を一周する給薬室固定デッキ上に円形軌道がある。台車がこの上を動くことができるようにその車輪は互いに適切な角度を保っていた。
台車の移動にはハンドルと歯車列(C)とが使用された。
てこ(D)は簡単なかみ合いクラッチによってピニオン(E)、(F)のいずれかを伝動装置(C)へ連結した。
1つのピニオン(F)は固定構造へ取り付けた円ラックとかみ合い、防炎容器からボギー車をホイスト入口と一直線になる位置まで移動させるために使用された。
旋回構造に取り付けた別の円ラックはもう一つのピニオン(E)とかみ合い、トランクへの固定を図っている他のボギー車の位置微調整のために使われた。
このボギー車は艦のひどい横揺れに際しての適合性を測定するために多くのテストが実施された。
テストの結果、傾き10°で手動ボギー車は実働不可能であることが判った。そのため、これが装備されることはなかった。


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部外秘

第15図/ 「大和」:火薬庫並びに弾庫配置図


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第15図/ 「大和」:火薬庫並びに弾庫配置図

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O-45(N)                            部外秘

第17図/ 上・下部給薬室全体像

18インチテスト砲架旋回構造
   (A)装薬ボギー車ガイド軌道  (B)装薬ボギー車トラバースラック
   (C)垂直ばねガイドローラー用ローラーパス  (D)防炎扉及び装薬ランマ用制御レバー
   (E)揺りランマー用台床  (F)防炎扉(右砲揚薬筒)
   (G)防炎扉(中砲揚薬筒入口)  (H)上部給薬室旋回構造の底部
   (I)爆風抜きトランク

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第18図/ (第17図と同じ)

第19図/ テスト砲架:上部給薬室


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O-45(N)                           部外秘

第20図/ テスト砲架上部給薬室平面図
   (A)中央揚薬トランク:下部給薬室の水平位置にある防炎扉   (D)が見える。
   (B)右揚薬トランク  (C)左揚薬トランク  (D)(A)を参照のこと
   (E)センターピボット固着用ホール  (F)フラッシュ抜き扉


第21図/ 下部給薬室テスト設計
   (A)装薬トラバースボギー車用ガイドベント  (B)ボギー車トラバースラック
   (C)垂直ばねガイドローラー用ローラーパス  (D)防炎扉及び装薬ランマ用制御レバー
   (E)ランマー用台床  (F)ピボットトレイローラー用軌道  (G)防炎扉  (H)点検


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O-45(N)

 7. このテストの後設計され、「大和」、「武蔵」に装備された動力移動ボギー車については見本も設計図も入手できなかった。
以下の建造記述は伊達大佐との討議をもとにしている。大体見たところ、それは人力ボギー車と似ていなくはなかったが、
異なる点は制御装置付き作業者用プラットフォームが備わったことであった。
電源、通常の水力発動機並びに制御弁が給薬室の旋回構造内に収容された。
発動機は単一「駆動」ラックに連結された。ラックは旋回構造基部の周りをいずれの方向にも回転可能であった。
次に、よく似ているが,より軽量な「制御」ラックが発動機制御弁に連結された。
このラックの運動量は制限されていて、発動機の制御弁を操作するに足るだけであった。
ラックの位置(従って制御弁の位置)はボギー車からレバー及び作動歯車とで調整された。
この調整はボギー車が作動中、制御ラックを望みの位置に保っておくために必要であった。
3番目の「固定」ラックは給薬室の固定デッキに取り付けられた。
これはボギー車が火薬庫から弾薬を受け取るために「艦への固定」をする時にその最終的位置調整をするためと,動力装置が故障した際にボギー車を人力で移動させるためであった。
上部給薬室にはボギー車が2台あり、ラックは全部で5基据え付けられていた。
つまり、駆動ラック2基、制御ラック2基と固定ラックが1基であった。
ボギー車同士が衝突して、ボギー車並びにラックがひどい損傷を受けることがあってはならないので、トリップ・レバーが装着された。
衝突の際は、この装置によりボギー車が駆動ラックから自動的にクラッチを解除された。

 8. 搭載位置(第16図参照)に達したら、ボギー車は緩衝ストップで駆動ラックからクラッチ解除され、次いで旋回構造へクラッチされた。
この位置でピボティング盤ガイドローラー (J)は固定ガイドレール(G)の末端を離れて、(F)点を軸に旋回するレール(H)へと移った。
(H)へはピボット水圧シリンダー(M)のピストン棒(L)が取り付けられていた。
水圧シリンダーの操縦位置は第21図で男性が占めているあたりであった。
この水圧シリンダーによってレール(H)は(F)点を中心に回転をして第16図の点線で示した位置に案内車(J)と共に移される。
ボギー車(E)上のピボティング盤はその左下端を軸に旋回(略図参照)。
装薬を揚薬筒の防炎扉と一直線に位置させた。装薬を揚薬筐へランマーで押し込む準備ができたのだ。

 9. 各ホイストの入口には防炎扉が装着され、第17、21図に示したレバー(D)のひとつによって操作された。
揚薬筐がホイストの底部に降下してくると、
(1)ホイストはカム・レバー機械装置並びにランマー操縦者正面にある「ケージ上」・「ケージ下」と表示が出るインジケーターによって操作され、
(2) 防炎扉制御レバーを「閉」位置でロックしていたボルトが外された。
次にレバーは「開」に切り替えられた。その結果ロッドギヤリング・ピンによって、砲塔の揚薬筒制御レバーが「下」位置にロックされ、
(2)ホイスト下底の防炎扉が開けられ、(3)装薬ランマー制御レバーが解除された。

 10.第6図の装薬ランマーはピストン、ラック・ピニオン型で、ホイスト左側のランマー番号の上方にあるケーシングに収まっていた。
(第16図に見るような右側ではなく)
ランマーヘッド(N)は(O)点を軸にして垂直面に回転することができた。通常は装薬移動ボギー車を避けて「上」位置にあった。
装薬の装填準備ができるとランマーヘッドをクランクが振り下ろして、装薬と一直線にした。
クランクを作動するのはランマーケーシング内のカムグルーブのローラーである。装薬を押し込んだ後、ランマーは移動し、
レバー操作員により防炎扉が閉められ、砲塔内の揚薬筒インターロックが解除された。
かくして、揚薬筺は砲塔内の操作員によって引き上げられるのを待つばかりとなった。

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部外秘                           O-45(N)

第22図/ 給薬室:装薬ボギー車(テスト設計)

第23図/ (第22図と同じ)


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部外秘                              O-45(N)


  1.下部、上部給薬室は類似しているが、異なる点は下部給薬室には運薬ボギー車が1台とホイストが1基(中央砲用)しかないのに、
上部給薬室にはボギー車が2台、ホイストが2基(左、右砲用)あったことである。
上部給薬室の旋回構造下底のまわりには第17、21図の機械加工された軌道(C)があった。
その上を垂直ばねガイドローラーが走り、砲塔旋回構造の下端部の安定を図った。
爆風抜きトランクが上部給薬室正面に取り付けられた。
下部給薬室からは上方に開く軽いスチール製のドアがあり、いずれの区画で爆発が起こっても、爆風抜きトランクの上、給弾室デッキに開けた穴を通って爆発力を逃がす仕組みであった。
爆風抜き用の穴は給弾室正面に格納されている弾丸の真下に開いていた。
爆発力はこの給弾室から揚弾筒、くぐり穴などを通って上に、また、給弾室壁面の穴や開きを通って横の弾庫へと抜けることになっていた。
この給薬室内爆発を逃がす方法はマツムラ海軍少佐並びにスギヤマ氏の陳述によるものであった。
報告者は爆風抜き穴の位置が給弾室に格納された弾丸の真下にあることに大きく驚き、疑念を持ったが、
両名は共に(テスト砲架はそのように装備されてはいなかったが)彼らの陳述通りであったことを強く主張をした。
ダテ海軍大佐は後刻、彼らの主張に同意せず、爆風抜きトランクは固定構造と旋回構造間の隙間へ通じていたと陳述をした。これはずっと合理的な説明である。

  12.第20図では、中央揚薬筒(A)と左揚薬筒(C)間の鋼甲板の1部を取り外して、
下部給薬室並びにセンターピボット固着の穴(E)が見えるようにしてある。

  13. 揚薬筒は防炎トランクで構成された。トランクの内寸は3フィート1インチ× 9フィート5インチで、給薬室から砲室まで直行した(「A」砲塔では約55フィート)。
揚薬筒内にはガイドレールが装着され、揚薬筐1個を受け取った。
(詳しくは第15図18項) 防炎扉は揚薬筒のターンテーブルフロアより高い位置に取り付けられ、揚薬筒内を上下する揚薬筐によって自動操縦された。

  14. 下部給弾室で、各揚薬筒の前面に揚薬筐巻き揚げギヤ(第24図26図)が装着された。
旧式のワイヤ・滑車型液圧プレスは廃棄されて、日本軍がより効率的であると考えるホイストが採用された。
ホイストは延長ラックを装着した水圧シリンダーとピストンとで構成され、ワイヤ・ウインチ ドラムに連結したピニオン列を駆動した。
直歯ラック(C)は、片側にはホイスト制御装置とカットオフバルブとを作動するためのカムレール(A)があり、直接に揚薬ピストンへと連結された。
ラックはピニオン(D),(E),(F),(G)並びに(H)を通って進み、溝付きドラム(B)を回転させた。ドラムには揚薬筐引き揚げ用ワイヤが巻き付けてあった。
ワイヤは張り車によって(B)へと誘導された。ピストン対揚薬筐の総合速度比はほぼ1対10であった。


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O-45(N)                           部外秘

第24図/ 揚薬ラック並びにギヤリング(組立前)


第25図/ 砲塔揚薬ウインチ


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部外秘                            O-45(N)

第26図/ 揚薬ウインチ


 C.弾丸供給
  1.弾庫&給弾室
第12、14,15並びに27図の略図で弾庫・給弾室の配置がやや判っていただけると思う。

  2.興味を引く主要な特徴は弾丸を格納位置からホイストまで移動するために用いられた独特な方法である。
この目的のために使用された装置は「プッシュプル」装置として知られていた。(第2?31図)
 弾丸は重いけた(G)に挟まれ、一対のスキッド(C)(第2、29図)上に垂直に格納された。
弾庫、給弾室内の利用可能なデッキスペースは全て格納された弾丸で占められた。
配列は船首尾に対して縦か横のいずれかであった。
適当なジャンクション(C)第31図やけた(G)の切れ目では弾丸の移動方向が横から縦、あるいは縦から横へと変更ができた。

  3. 2つの上部、下部「ゲート」、(A)と(B)は弾丸をけた(G)の間に保持し、移動させた。
上部ゲート(A)は「固定ゲート」として知られていて、固定された軸周りを90°まで垂直面回転ができるだけであった。(第31図参照)
 (A)が「下」つまり水平位置にあるとき、ゲートのフィンガーは弾丸の周り、仮帽の直ぐ下にあった。

                 31



O-45(N)                           部外秘

第27図/ 下部給弾室―略図



第28図/ 弾丸「プッシュプル」装置並びに給弾室


                 32



第29図/ 上部給薬室:中央砲用揚弾筒入口(「プッシュプル」装置未装着)


第30図/ 給弾室用弾丸「プッシュプル」装置一式 (テスト設計)


                33



O-45(N)                           部外秘

ゲート(A)の機能はただ弾を保持して横揺れ、縦揺れするのを防ぎ、下部ゲート(B)が保持していないとき、前後の弾丸を正しい距離に保つということであった。
下部ゲート(B)は「移動ゲート」として知られていて、弾丸の重心と同水準位置にある軸 「固定」位置では、固定ゲート(A)は降りていた。
移動ゲート(B)は上がり、弾丸から完全に離れていた。
弾丸移動時の装置の働きを次の掲げると
a.移動ゲートを降ろす  b.固定ゲートを上げて、弾丸から離す
c.移動ゲートを1発間隔で水平に移動させる。全ての弾丸をゲートに取り込む。
(第28図ではゲートに入った弾丸6発を示す)
d.固定ゲートを降ろす  e.移動ゲートを上げる
f.移動ゲートへ弾丸1発分のスペースを次のサイクルのために返す

テスト砲架ではゲートは90°リンクギヤリングで連結をされていた。
互いが90°の位相差を持っていて、1体となって回転した。
これは不十分であることが判明して、最終設計ではゲートは完全に分離され、各ゲートにそれぞれ操作レバー並びに油圧式シリンダーが装着された。
最終設計ではゲートフィンガーのサイズが著しく減少した。
第28図、第31図ではゲート両端のフック(D)及び(D1)を示す。
フック(D)の機能は弾丸を横方向米から船首尾ベイへと引き出すことことであり、フック(D1)の機能は弾丸をそのベイ端から揚弾筒へと押し出すことであった。
ここに、「プッシュプル」装置という名前は由来する。

  4. 「プッシュプル」装置の制御メカニズムが第30図に示してある。
それは通常の油圧シリンダーとピストン(E)(F)で構成された。
ピストンは適切なベルクランクを介してゲートを回転させたり、あるいはラックピニオンまたは単純なタグによってゲートを水平に移動させた。
タグは(90°の回転ができるようにと半径方向に延長され)移動ゲートの連結棒スロットへとフックするピストン棒の端に取り付けられていた。

  5.弾丸の搭載
弾丸は在来型のグラブによって弾庫へ積み込まれた。
グラブは上甲板で弾丸を水平にピックアップし、次にそれを垂直にスイングして、この状態で弾庫デッキのスキッドに降ろして外した。
「プッシュプル」装置の使用で弾庫内の全8てのベイを満たすことができ、弾丸は徐々に(C)点まで移動していった。(第27図)
 下部給弾室外周の固定構造には2台の運弾ボギー車があった。(第27、32図)
 弾丸はこのボギー車の1つに(C)点で「プッシュプル」装置により積み込まれ、動力または人力で給弾室の3つある入口の1つへ運ばれた。第10、11図中(C)。
この位置でボギー車は砲塔へロックされ、弾丸は給弾室内「プッシュプル」装置の端フックによってボギー車から引き出された。
このようにして下部給弾室内の全ての場所が満たされる仕組みであった。
弾丸を上部給弾室へ入れる方法は1つしかなかった。最初に下部給弾室ヘ移し、次に補助揚弾筒または主ホイストを使用して上部給弾室まで上げるというもので、
非常に緩慢にして骨の折れる弾薬補給法であった。
弾薬補給に要した時間については2つの見積もりが入手できた。
1つは呉の松村海軍少佐によるもので、弾薬補給を完遂するためには昼夜兼行作業で24時間必要であったとのこと、 他は「大和」沈没時の砲術将校、黒田海軍大佐によるものであった。
彼は昼間にだけ作業をして4日間必要であったと言った。
彼は「大和」の砲術将校を3週間しただけで、大和の装備については他のことはよく知っていない風であったが、この見積もりに関しては彼の方がよりよかったと思われる。
装薬は通常の搭載ホイストによって火薬庫へ直に積み込まれた。

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部外秘                            O-45(N)

第31図/ 18インチ砲架:弾丸「プッシュプル」装置(テスト設計)

第32図/ 弾丸移送ボギー車


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  6.弾丸格納
艦船設計時の要求は1砲につき合計100発を格納することであった。
地表交戦に際し弾丸を弾庫から移送しないですむように砲塔構造内に十分な数の弾丸を格納するように意図された。
装備された装置では弾丸移送には非常に時間がかかったに違いなかった。
そのために1砲につき60発 (合計180発)を旋回構造内に、40発を弾庫に格納するように計画された。このほかに演習弾が若干あった。
具体的に言うと、120発を下部給弾室、左右揚弾筒並びに左右砲室待機位置に、60発を上部給弾室、中央揚弾筒並びに待機位置に格納することとなった。
亀ヶ首で調査した給弾室はただテスト用に建造されたもので、部分的にしか完成していなかった。
従って、実際にこれだけの数の弾丸が格納できたかどうかは確かめることができなかった。

  7.揚弾筒
揚弾筒は単純な押し出し型ホイストで、1組の移動/上昇つめ(後ろ)と固定保持つめ(前面)をはめていた。
ホイスト底にスカットルはなかった。弾丸は「プッシュプル」装置で適切な形をした開口部(第29図)を通って直にホイストに押し込まれ、俯角5°傾斜の台へ倒される。
垂直面と5°傾斜をしているホイストと合わせるためである。台から突起しているばね押しクランクは弾丸がホイストに入ってきたら下へと押される。
このクランクはホイスト入口の両側にある横揺れ停止装置へ連結していた。
この装置は閉められて、弾丸のホイストからの落下を防止した。(第29図のホイストにはこの装置が装着されていない)
 台には一番下のつり上げつめが通れるようにとスロットが開けられた。
3基全てのホイストが下部給弾室底部まで降りた。
各ホイストには上部、下部両給弾室からの入口があった。
弾丸は通常下部給弾室から補給されたが、交戦中は更に弾庫から補給されることとなっていた。
弾庫からの補給速度が給弾室から砲室までの補給速度に追いつくことは通常無理であった。
下部給弾室からの補給が無くなった場合、補給は上部給弾室から続行された。
その際、甲板と同一面にするためポータブルな足場をホイストの入り口へ差し込んだ。
  8. 押し上げシリンダーのピストンにはラック延長が装着され、2:1比率のピニオン・ギヤを介してラックへと連結された。
このラックはリフティングつめの連接リードへ装着されていた。
ピストンのストロークは1.3メータ(43フィート)でつめのストロークは2.6メータ(85フィート)であった。
4基ある移動つめはホイストトランク内側の「アイランド」カムを回るローラーによって全てが確実に操作された。  「固定」つめは全てインターロックされていて、ベルクランク並びにロッド伝動装置によってホイストに押し込まれたり、押し出されたりした。
これらはピストン棒のラック延長側面につけたカム溝を動くロールによって操作をされた。各ホイストには3基の固定つめがあった。

  9.揚弾筒インターロック
インターロックは1つだけ装着されていたが、ホイスト入口近くに立つ操作員1人が手動で操作をした。
彼が持ったレバーは (1) 「プッシュプル」操作員の位置にある表示器・錠ピンならびに (2) 砲室の表示器・錠ピンに機械的に連結されていた。
(1)では揚弾筒の中が「から」でランマーでの押し込みが出来るかどうかが示され,もし「から」でない場合には彼はレバーをロックすることが出来た。
(2)では弾丸積み込み前に揚弾筒が引き上げられることを防いだ。


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  10.砲塔弾丸換装筒&換装盤 (第33、34図)
 揚弾筒のトップつめにより弾丸は「U」型をした換装筒の中まで引き揚げられた。
その位置は装填角度時の砲腔中心線と平行し、また中心線よりも上にあった。
ばね作動のつめにより弾丸が換装筒内へ戻され、揚弾筒は下り行程に入った。

そのような事故を防ぐために頼りにされたのは十分な訓練であった。
弾底信管弾が使用されていたとき、これは重大な欠点とは考えられなかったが、弾頭信管では安全保護装置の必要性が強く感じられた。
しかしそれが装着されることはなかった。

  11. 換装筒は第34図に示したように、油圧作動ラック、クランク並びに連接かんによって仰角8°まで傾けられた。
換装筒が3°(弾丸の装填角) まで傾けられなかった理由は後ほど運弾ボギー車並びにランマーについて議論する際に説明する。
弾丸はあ第34図(A)止めクリップによって換装筒横から落下することが防がれた。
これらのクリップはリンク伝動装置並びに換装盤側面のカムレール(B)で作動するローラによって開けられた。
これによって弾丸は換装筒から換装盤に転がり出て,停止装置(C)に保持され、ランマー・弾丸装填ボギー結合車の換装台へと転がり込んだ。

  12.弾丸装填ボギー車&ランマー(第35、36図)
弾丸装填ボギー車・ランマーは巨大にして珍妙、重さ約3トン、先史時代の怪物にそっくりの装置であった。(第35図)
その主 要な寸法は第36図に示してある。
装置は砲腔と平行なレール上の4輪車に取り付けられていた。
装填時の位置:ボギー車の上部表面及び弾丸換装台(A)は仰角8°であった。
ボギー車が砲に向かって前進すると、前輪がランプを下って(B)位置に来る。
その結果ボギー車と弾丸は砲装填角度である仰角3°となった。
 この手順は弾丸ボギー車が装填位置に入ったときに、装薬ランマー&弾丸装填ケージ用水圧シリンダーがスウィングをして換装台 (A) の真下で砲腔と一直線になるためのスペースを確保するのに必要であった。
砲尾スレッド保護盤(C)が遊底(E)に装着された。第35図では保護盤は装着されていない。
ボギー車移動並びにランマー作動用の動力はボギー車両側の入れ子管を介して供給された。
進出防衝器(D)はボギー車の前進を制限した。
進出防衝器が押し込まれて、砲尾正面に達すると、アンチローリング・グリップが開いて弾丸が解放され、ランマーの出番となった。
ボギー車は合計で約13フィート前進し、この位置に保たれた。一方ボギー車内の可動シリンダーの水圧によりランマーが稼働する。

  13.ランマーは通常のチェーン型ランマーで、ばね緩衝機構(G)を介してピニオン、ラック並びに水圧ピストンによって駆動された。
ランマー両端には水圧緩衝止めが装着された。鋼体バー(H)はランマーストロークまで延びてチェーンを支えた。

  14. 第37、38図には当初設計された運弾ボギー車とラマーが示してある。
このボギー車には3組の車輪がついていた。
ランマーとその操作機構を含む本体(A)は2組の後部車輪上に取り付けられ、換装台とボギー車(B)の残りの部分は前輪1組によって支えられた。
ボギー車が前方に押されると前輪はランプを下り、換装台(B)が(C)点を軸として旋回をして、換装台と弾丸とは装填角度にあるランマー先端と一直線になった。
このボギー車にはランマー用に摩擦駆動が装着されていたが、後のタイプのボギー車にはばね緩衝器がつけられた。
両タイプのボギー車がさらに調査を進めるために合衆国へ送られたところである。


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第33図/ 砲塔:弾丸換装台

第34図/ 砲塔内弾丸移送



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第35図/ 砲塔:弾丸ボギー車並びにびランマー ―最終設計

第36図/ 砲塔:弾丸ランマー


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第37図/ 砲塔:弾丸ボギー車並びにランマー(テスト設計)

第38図/ (第37図と同じ)


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  15.揚薬筺&装薬ランマー(第39、40図)
装薬を火薬庫から取り出して揚薬筺に載せる方法については既に述べた。
しかし揚薬筺自体や装薬を砲に装填する方法についての記述は弾丸装填の記述が済むまで省略をしてきた。
装填作業の手順を正確に述べたかったが故である。

  16. 防炎装薬筒(A)には55キロ装薬6嚢が並べて収納された。
防炎装薬筒はオープンフレーム構造(B)上部に運ばれた。
(B)は巻き揚げトランク内の適切なガイドレールを走行する車輪(C),(K)に取り付けてあった。v 装薬筒(A)はキャリジ(H)最上部のレールを走行する車輪(G)取り付けられた。v (H)はシャフト(D) へ栓止めされ、フレーム(B)底部の支点へ結合された。v シャフト(D)は装薬筒(A)の中心線からオフセットされた。v 装薬筒(A)・装薬に重量があるため、揚薬筒が上下する間、各部ともフレーム(B)に収まって、落ち着いていた。v シャフト(D)へ栓止めされたレバー(E)並びにレール(J)を走行するローラー (F)もまたこのことに役立った。(これは彼らの主要な役目ではなかったが)

  17.揚薬筺が揚薬筒頂上にちかづくとローラー(F)はシャフト及びクランク(L)を心軸として旋回し、栓止めもしたレール(J)部に入った。
コネクティングロッド、ピニオン、ラック並びに水圧シリンダー機構(M)はクランクを回転させた。
装薬筒を砲腔と一直線にするためにレール(J)は端面図(第39図(A))の点線で示した位置まで回転させられた。
(J)はローラー (F) を取り、クランク(E)、シャフト (D)並びにキャリジ (H)をメインフレーム (B) の外側の位置まで回転させた。
この回転の最終段階で、ピボトリンクバー(Q)及び (Q1)、リンク(R)によって、(キャリジ(H)に比例した)前進運動が装薬筒(A)に与えられた。
この運動はカム(P)で作動中のリンク(Q)に接するローラー (N)によって制御された。
このようにして (A)は砲の中深くに取り込まれ、砲尾スレッドを保護した。

  18.装薬筒には防炎対策がメインフレームに装着された端部扉によって施こされた。
レバー装置ロッド(S)によって扉の開閉が十分にされて、装薬筒は横方向の動きが自由にできた。
完全な揚薬筺1台が調査のため合衆国へ送られたところだ。

  19.装薬ランマー(第39、40図)は揚薬筺の舷縁に平行して、その後部に設置された。 ランマーはその下端を軸にスウィングして、先端部を砲腔と一直線にした。
ランマー本体の位置は第39図に示したように水圧筒(M)によって制御された。装薬筒のスウィングを制御したのと同じ水圧筒である。
 他の全ての点において、装薬ランマーは在来の水力ピストン・ラックで作動するチェーン型ランマーであった。
テスト機設計では入れ子ピストン型ランマーが使用されたが、これは遅すぎることが判明(1発につき8秒)して1発につき3秒の速度を持ったチェーン型に取り換えられた。

  20.旋回装置(第41?45図)
完全に独立をした2組の旋回装置が180°の間隔で各砲塔に装着された。
しかし、使用されるのは1度に1組だけであった。
日本人の意見ではこの大きさの砲塔に通常のウォーム・ウォームホイール駆動型旋回装置を設計すると2つの不都合が生じるであろうということであった。
第一は、水平スペースがうんと必要となり、砲塔の直径を増大しなくてはならないこと、第2はウォームへの負担が高まり接点でピッチングが生じる心配があった。
そのためにウォームレス旋回駆動の設計が決定された。第41図にその略図を示す。旋回ピニオン・ラックの詳細は第42、43図に示す。第43図(C)の詳細は信頼できない。
理由:使用された旋回ラックのセグメント数が18であったか、20であったかが確認できなかった。

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第39図/ 94型―45口径46センチ砲塔:揚薬筺


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第40図/ 砲塔:装薬ランマー

第41図/ 砲塔旋回装置


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第42図/ 砲塔:旋回ピニオン スチール製 (寸法 ミリ単位)

第43図/ 砲塔:旋回ラック (寸法 ミリ単位)


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第44図/旋回エンジン   第45図/旋回エンジン


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  21. 500馬力の立て型水力機関(第44、45図)が旋回盤の両側に取り付けられた。
(旋回機関スペースへの入口が第55、57及び58図の(C)に見ることができる)
 第41図(B):水力機関は「コースター」ギヤの内部要素(A)を(CC)にあるコアクラッチ(クラッチは略図には示していない)を介して駆動した。
この装置が自転車の駆動部にそっくりなところからそのように名付けられた。
内部要素(A)は外部要素(B)を3つの(各方向に3つずつで合計6つになる)「平」ローラー(D)を介して摩擦力で駆動した。
(B)は直歯ピニオン列の最初のピニオンにつながり、末端は旋回盤を毎秒2°で駆動する旋回ピニオン(第42図参照)であった。
第41図に示したギヤ速度によれば、このためには旋回機関からは最高速度53rpmが必要であったと思われる。
この略図は記憶をもとに作成されたので、掲げた数字については(最終駆動ピニオンを除いて)確認ができなかった。

  22.「コースター」ギヤは当初水圧運転のバンドブレーキと共に水力機関の運転軸に装着する計画であった。
通常はウォームが果たしている役割であるが、バンドブレーキが非逆転機構として作用する筈であった。しかし、この計画は不成功に終わり、装着されなかった。
その結果、旋回装置は最終的形態では非逆転機構ではなかった。また「コースター」ギヤも通常の摩擦円板の代わりをしただけであったが、
外側の砲を発射する際の発射推力、または旋回方向の突然の反転による旋回盤の慣性を吸収する働きをした。
「旋回方向が突然に全速力で反転したとき目標からの慣性は約50%が吸収され、こうした条件でのスリップはアーク30分であった」と主張されている。
この装置の操作方法は第41図から、これ以上説明するまでもなくはっきりと見て取れるであろう。

  23. 初期の段階で外ドラム(B)圧力面のひどい「かじり」に大いに悩まされた。
これは(スリップ量を過度に増大させることなく)圧力潤滑によって克服された。
全てのピニオン歯及びベアリング潤滑のためだけでなく、このために1馬力電気ポンプ1基が使用された。
「コースター」ギヤとバンドブレーキの設計は非逆転ギヤとしては成功しなかったが、これは思いもよらぬ幸運だと考えられた。
試行の結果通常使用されている巨大な摩擦円板の代わりにきちんとまとまった代用品が発見されたからである。
外ドラムの全体寸法は外径約3フィート.高さ8?9インチであると主張されている。
しかしこれでは「ローラー」上の圧力面の非常に小さな範囲しか示さないだろう。
不幸にしてこのギヤの見本は発見できなかった。したがってこれらのデータは確認されなかった。

  24.俯仰&スライド ロッキングギヤ(第49、50図)
通常のシリンダー・ピストン型俯仰装置が使用された。
シリンダー(亀ヶ首で発見されたシリンダーから採寸)の主要な寸法が第49図に示してある.第50図:ピストンかんの上端はスリッパーガイド(C)の中を作動中のクロスヘッド・スリッパー(B)へ連結された。
(これらのガイドは第46、47図に見ることができる。図中の(D)がそれである。)クロスヘッドは水圧シフティングシリンダー(D)(第50図)で作動中のピストンかん・ピストンへ連結された。
シリンダー中のピストンの位置は砲鞍側面のハンドレバーによって制御された。
このようにして鞍耳と俯仰ピストンかんクロスヘッド(俯仰半径アーム)との間隔を変えることができた。
「入り」位置(第50図(B)参照)で半径アームは最小となり、この位置での砲の俯仰範囲は+45°+5°であった。
「アウト」位置(第50図(A)参照)で半径アームは最大となり、砲の俯仰範囲は+41°+3°であった。
砲は通常クロスヘッドをこの位置にして使用された。
クロスヘッドは締付ボルト(F)(第50図(C)参照)によってそのストロークの両端いずれにおいてもロックすることができた。
締付ボルトはピニオン及びかさ歯車装置によってハンドル(E)から操作された。(第47、48及び51図にも示してある)


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部外秘                            O-45(N)

第46図/ 戦艦「信濃」用18インチ砲スライド

第47図/ 「信濃」用18インチ砲スライド


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第48図/ 「信濃」用18インチ砲スライド

第49図/ 俯仰シリンダー


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部外秘                          O-45(N)

第50図/ 俯仰装置

第51図/ 戦艦「信濃」用18インチ砲スライド


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  25.スライド ロッキングギヤ
この可動クロスヘッドの目的は一種のスライド ロッキングギヤとして作動することであった。
第50図(A)で見るように、クロスヘッドをロックして「アウト」位置にし、砲が射角位置にあった場合、仰角ハンドルを力一杯「下げ」まで回しさえすればよかった。
ピストンがシリンダー内の行程限界に達して、通常の「遮断」ギヤが作動。砲が自動的に仰角3°で止まる仕組みであった。
スライドは装填作業中はロックされなかったが、仰角ハンドルは「下げ」に保たれていた。このため砲は仰角3°に固定された。
ランマー操作員が操作する「表示器」は砲が装填されたときや、ランマーが取り出されたときに指針を表示した。
砲を仰角1°にロックするために手動のスライド締付ボルトが装着された。

  26. 設計仰角速度は毎秒6°であった。しかし、実際には毎秒8°が得られたと主張されている。

  27.発射速度
18インチ砲架の装填サイクルタイムの推定値は最大射角での40秒から射角不明、恐らく低射角での28秒までと色々である。
この件に関する最初の尋問に際して、松村海軍少佐は18インチ砲架の実際の発射速度を確定するためにテストが幾度となく延長、実施されたこと、
得られた最善の結果は28秒で1発であったが、30秒で1発が平均速度であったと述べた。
これらの結果が得られたときの射角は不明である。 次に杉山氏が個別の装填作業時間を尋問された。
彼は正確には覚えていなかったが、覚えていたことはおよそ次のようなことであった。

   射角20°から装填角まで下げる。
         8°/秒並びに遮断を考慮する………………2.75~3秒

   砲尾を開ける ………………………………………………2.0~2.5秒
   弾丸ボギー車を前進させる…………………………………………3秒
   弾丸を詰め込む………………………………………………………3秒
   ランマーを引き出してボギー車を戻す……………………………5秒
   装薬シリンダーとランマーを装填位置
         までスウィングさせる………………………………3秒
   装薬を詰め込む………………………………………………………3秒
   ランマーを引き出す…………………………………………………3秒
   装薬シリンダーとランマーを射撃位置まで戻す ………………3秒
   砲尾を閉める…………………………………………………………..秒
   砲を上げる………………………………………………………2.75~3秒
   駐退機及び推進機………………………………………………2.5~3秒

上記データにより射角20°における装填サイクルのための合計時間 (照準のための時間は無視して)、35秒?361/2秒、つまり約36秒が与えられた。
これは仰角3°における30秒の装填サイクル、並びに仰角41°での約40秒と一致する。
岩島海軍大佐及び伊達海軍大佐によって与えられた発射速度は最高仰角で毎分1.5発であったが、これを正確な発射速度として容認することは妥当であると思われる。
弾薬の巻上げ及び給弾薬室操作は迅速で、砲塔内での弾薬補給を十分な余裕をもって行うことが出来、発射の遅延を招くことはなかった。


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部外秘                           O-45(N)


  28.旋回盤(第52、59図)
第58図は旋回盤の構造を図示したものである。
旋回盤は全面がリベット打ち、組立構造であった。
プレートに包まれているのが見えるが、裸旋回盤の重量はおよそ300トンであった。
旋回盤は工場で可動引き上げ板 (第54、55及び57図中(A)) へ固定した特殊つり上げ装置によってつり上げられ、ひっくり返された。
ローラーパスに機械加工するためである。その大きさは第8、9図、亀ヶ首性能試験場の全景からよりよく把握できるであろう。
これらの写真で旋回盤を18インチ砲架の他の要素と、また6インチ砲架と較べるがよい。
示された要素は (A) 18インチ砲上部・下部給薬室、(B) 18インチ砲旋回盤、(C) 18インチ砲用上部・下部給弾室、
(D) 6 インチ3連砲砲塔並びに作業室、(E) 16インチ砲砲鞍並びにスライド、(F)18インチ砲砲鞍並びにスライド。

下部ローラーパスのおおよその寸法が第59図(A)にある。

  29.鞍耳ブラケット(第55、57,及び60図)
3連砲用の鞍耳ブラケットは4つしかなかった。これらの鞍耳ブラケットについて記述することは不必要だ。
第60図に自明の詳細な点までが挙げられているからだ。
この概略図及び第58図は両者とも、第54?57図に見られる未完成旋回盤の調査から作成された。

  30.砲鞍並びにスライド (第46、48,51、59及び61図)
砲按の主要構造はまず第51図、砲キー用キーみぞの中心線(A)で結合された2つの半円筒形鋳鋼(B)と(B1)とであった。
駐退機及び推進機シリンダー用と俯仰ピストン棒スリッパーガイド用との必要なハウジングが主要鋳鋼の不可欠の要素であった。
(B)と(B1)は2つの大きな側板 (C)(第61図)によって結合された。
スプリンタープレイト (A)と軽銅チェース保護板(P)とが砲按の前面に装着された。

第52図/18インチ砲旋回盤(テスト設計 半完成品)


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第53図/ (第52図と同じ)

第54図/ ほとんど完成をした「信濃」用旋回盤


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部外秘                           O-45(N)

第55図/ (第54図と同じ)

第56図/ (第52図と同じ)
        台風のため支柱は損傷している。 重量(約)300トン

                 53



O-45(N)                        部外秘

第57図/「信濃」用18インチ砲旋回盤 ---半完成品

第58図/ 砲塔旋回盤


                54



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第59図/下部ローラーパス並びに鞍耳シャフト



                            O-45(N) 部外秘

  31.駐退機並びに推進機
駐退機と推進機は砲按の頂部と下部とに装着された5基の別個のシリンダーによって制御された。第51図はこれらのシリンダーを砲尾から見たものである。
その配置は次のようであった。頂部右と底部左が推進機シリンダー、頂部左と底部右が駐退機シリンダー、そして底部中央が推進機制御シリンダーであった。
推進機シリンダーは空気圧操作で、空気初圧はおよそ1350psi, 終圧がおよそ2480psiであった。

通常の50-50グリセリン・水の混合物が駐退機並びに推進機制御シリンダーに使用された。いずれにも特に変わった特徴はなかった。
駐退機シリンダーは推進機の制御に対して非常に小さい役割しか果たさなかった。
駐退機は推進機の速度に若干の影響を与えたが、これは全てシリンダーへとつながった駐退機ピストン棒の尾部の働きによるものであった。
砲按とスライドの重量は非常に大きかったので、砲を仰角に釣り合わせるためには、小さいバランスウエイトしか必要でなかった。
このバランスウエイト(その1つが第10図に示されている)に推進機,駐退機さらに推進機制御ピストン棒までもが固定されたのであった。
駐退機と推進機との機構が完備した2基の砲鞍及びスライドが米国へ送られた。
砲の検査に使用するのと詳細な調査のためである。


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第60図/ 鞍耳ブラケット


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第61図/ 「信濃」用18インチ砲スライド

部外秘                        O-45(N)

               第3部
        稼働中の砲架の性能に関する種々な情報並びにメモ

  1.補助的弾薬供給
2基の補助的ホイストが各砲塔に装備された。
これらは在来の設計で水圧ウインチを使用した。主要揚薬ウインチに似てはいるが,より小型であった。
弾丸、装薬ともに適切な容器に入れて垂直に巻き上げられた。
砲塔内での弾丸移送は天井クレーンとチェーン巻き上げ機を使って手動で行われた。

  2.当初の「プッシュプル」装置設計とともに、弾庫及び給弾室に於ける補助的供給は天井クレーンとチェーン巻き上げ機とによって行われた。
時間がかかり過ぎることが分かり,「プッシュプル」装置が改良された。ゲートがお互いに独立して操作できるようになり,両者が同時に巻き上げられるようになった。
おかげで主要けた間のスペースに何もなくなった。弾丸はワイヤでひっぱり、基部をワイヤで回転させてスペースの中へと入れ込ませた。
ワイヤは一方を固定し,弾丸の周りに巻きつけて,水圧ウインチで引っ張った。
交戦後この部屋でストックを積載または補充するとき、ホイストから上部給弾室へ弾丸が移されたのはこの方法によるものであった。

  3.装薬水浸し&火薬庫冠水装置
火薬庫用張水弁は下部給薬室キャビネット装着のリモート制御弁によって油圧運転をされた。
張水弁は20秒で開くことができ,火薬庫は15分で完全に冠水した。
火薬庫、弾庫、給弾薬室並びに揚薬筒には通常の噴霧装置が装備されていた。

  4.稼働実績
砲架の設計者たちはその稼働実績に好印象を得ていた。
何しろ多くの新しい特徴を持った巨大な砲塔だから操作員からの苦情が陸続とあるものと十分に覚悟をしていたのに,事実は異なった。
彼らは砲塔が実際に使用されたのがおよそ3年間に過ぎなかったので何か本来的な欠陥も表面化する時間がなかったのかも知れないと認めている。

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O-45(N)                        部外秘

そう言えばそうだ。しかし一方、新しい型の砲架は稼働し始めて数年間に問題が一番多く発生するものだとも普通言われている。
この期間に重大な事故が一件だけあった。それは人身事故であった。
操作員一名が弾丸と給弾室間のスペースで運弾ボギー車に挟まれて真二つに切断された。 これは彼自身の不注意によるものと考えられた。

  5.最も厄介な特徴は揚薬ラック及びウィンチ、旋回装置によって使用される大量の潤滑油であった。
これらの要素はすでにひどいピッチングのきざしを示し始めていた。
また、「コースターギヤ」内のローラーが起こす騒音や艦が5°以上の横揺れをしているときの揚弾の困難さなどについての苦情も出たが、これについてはそれ以上の情報は得られなかった。
これらの砲からの爆風は非常に大きく,艦橋区域では特にひどかった。

  6.これらの砲について操作上得られた情報は以下の如し。

a. 日本海軍砲術における斉射散布界サイズ減少の問題については、この10年間かなりの量の調査が行われてきた。
18インチ砲架,いや他の現代の砲架全ての設計及び製造では俯仰並びに旋回駆動、俯仰並びに旋回受け駆動におけるバックラッシュと他の全ての大散布界の原因とを最小限に減らすよう細心の注意が払われた。
18インチ砲について得られた通常の散布界は5門及び4門斉射の最大射程でおよそ500から600ヤードであった。
片舷斉射では散布界はこれよりも大きかった。
散布界減少問題の解決については米海軍訪日技術使節団報告「日本軍地表並びに一般射撃統制」,Index No.0-31で十分に扱われているのでここではこれ以上述べない。

b.18インチ砲は航空機,主として雷撃機に対して使用された。
弾丸は三式通常弾(焼夷霰弾)であった。射撃の有効性については米海軍訪日技術使節団報告「日本軍の弾丸-一般式」Index No. 0-19でやや詳しく触れられている。
「大和」「武蔵」に積載された対空弾の量についてははなはだしく異なる3つの陳述がなされた。
つまり(1)全積載量の100%、(2)40%及び(3)10%というものであった。
(1)は松村海軍少佐によるものであるがおそらく一番信頼性は薄い。
(2)と(3)はそれぞれ黒田海軍大佐と三井海軍大佐によるものであるが、いずれが一番信頼できるかを判断することは困難である。
おそらく40%台というのが正しい答えにより近いのだろう。
18インチ砲発射の弾丸の種類を迅速に変更するためには、ある型の弾丸装填にはいくつかの揚弾筒を使い、他の型には残りの揚弾筒を使うという方法しかなかった。
信管は給弾室で装着され、装填前に信管が損傷せぬように信管保安器が使用された。
信管作動時間設定の算定方については米海軍訪日技術使節団報告「日本軍地表並びに一般射撃統制」,Index No.0-31で扱われている。


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             同封物品(A)

      アメリカ合衆国へ輸送されたる日本軍の装置一覧
        (全点94型、46センチ(18")砲架用)


米海軍訪日技術使節団   説明               送付先
装置 No. 

  JE 22-2070 &   JE 22-2070 (A)   左砲並びに砲尾構造(1)        NPG
  JE 22-2071    右砲並びに砲尾構造(1)        NPG
  JE 50-3180     砲按並びにスライド((左砲用)(1)   NPG
  JE 50-3181     砲按並びにスライド((右砲用)(1)   NPG
  JE 50-3182     砲塔弾丸ボギー車並びにランマー
               (試作型) (1)         NRL
  JE 50-3183     砲塔弾丸ボギー車並びにランマー
               (最終型) (1)         NRL
  JE 50-3184        揚薬筺 (1)           NRL
 JE 50-3185      砲塔弾丸換装筒&換装台 (1)      NRL

       NPG -ヴァージニア州ダルグレン海軍試射場
       NRL-ワシントンDC, アナコスチア海軍調査実験所


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 米海軍訪日技術使節団 「日本の諜報目標」についての報告

   U、亀ヶ首試射場-爆弾射撃テスト




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