平和を守ろう!「九条の会」

 《「憲法のつどい2009ひろしま」》

   講演要旨

  「現代の貧困
    派遣村から見える戦争と平和」
   湯浅 誠氏(反貧困ネットワーク事務局長)

 広島県9条の会ネットワークとひろしま医療人・九条の会共催による
「憲法のつどい」が11月2日開かれ、08年暮れ、東京日比谷の派遣村村長をつとめた
湯浅誠さんの講演会が行われました。
会場の国際会議場ヒマワリには、満席を超える600人が集いました。
湯浅さんは、子どもの貧困、働く人たちの貧困、゛9条と25条.などにスポットを当てながら、
いまの貧困をどうやって打開していくかを熱っぽく語リました。

以下は講演記録の一部です。        佐々木孝

◎子どもの貧困
 去年出しだ反貧困」という本で、今の社会は滑り台社会だと書いた。
社会が滑り台のようになっていて、蹟くと ころころっと下まで落ちてしまう。
人生80年もあれば必ずトラブルがある。
そのためにいろんな仕組みを作って来たけど、それが利かなくなってきている。
 日本の子どもの貧困率の数字を政府がついに出しました。 14. 3%です。
7人に1人の子どもが貧困状態。1985年から2003年まで、右肩上がりで増え続けています。
しかも、日本の場合は、所得再分配をやると子供の貧困率が上がってしまう。
つまり、国が介入することによって、子どもの貧困が増えてしまう。
 その貧しいままで学校に上がったとき、金持ちの子どももお金のない子どもも
等しく教育が受けられるのかというと、そうではない。
年収の高い家の子どもほど大学進学はしやすく、年収の低い家の子どもほど大学進学ができにくい。
保険会社の試算では、子ども一人大学を卒業させるまでにかかる費用は、
全部公立で通して一人3000万円。全部私立で通すと一人6000万円。
親が稼げない子は、残念でしたということになる。
そういう風に、比較的早い次期から教育課程から出されてしまう。
 学校を出て行った先の労働市場で、条件のいい仕事があるかというと、あまりない。
若年層の二人に一人は非正規。
今年4月に高校を卒業した人たちのための求人は26万9千人、
来年卒業する高校生のためには13万6千人、去年の半分しかない。

◎正規は勝ち組で、非正規は負け組みか
 労働市場はいま、三つに分かれている。
一つは大企業の中核的な正社員、この人たちは確かに給料結構もらっています。
年功型賃金もいまだにありますが、他方で週60時間以上、残業時間が月100時間以上というような、過酷な働吉方をしていて、過労死の問題が珍しくない。
建設業界紙を見ると、社員千人以上の大企業で、月3000時間以上働いている人が20%という。
逆の極にあるのが短時間の非正規。こちらは、働いても暮らしが成り立つまでの収入が得られない。
真ん中には二つの人たちがいる。一つは非正規だけど、事実上フルタイムで、
正規と変わらない働き方をしている「自活型フルタイム非正規」。
もう一つに、正社員なんだけど低所得てあまリ安定してなくて、
「周辺的正社員」と言う名前がついている人たち。
周辺的正社員といわれる人たちを具体的にイメージすると、「名ばかり管理職」。
マクドナルド裁判というのを起こした高野さんは、当時41歳、店で唯一の正社員。
24時間営業だから、夜中の2時に電話かかってくるのが普通だという。
中学校の息子さんに、「お父さんは僕が死んでも、お葬式には来れないね」と言われた。
そういう状態で働いていても、残業代がつかないで、年収は300万いかない。
ある時、仕事中に手が震え、これはやぽいと、病院に行こうと本部に連絡を入れたら、
「店長のくせに自分の健康管理もできないのか」と怒られた。
休むこともできないと、労働組合に相談に来た。
 もう一人100円ショップで同じような状態で働いていた清水さんは、唯一の正社員で店長。
ひどい時は4日間で80時間働いた。自分がどんな作業をしていたか覚えていないと言う状態で働いていた。
そのうちに重いうつ病になった。3年経ちますが未だに働けない。彼も、残業代が出ていなかった。
新卒者が3年経ってから辞める人が95%。正規の人が使い捨てられている。
「自分は燃料のように使い切られた」というのは彼独自の表現。でも、二人とも正社員。
 フルタイム非正規というのは、たとえば外食チェーンのスカイラークで去年二人目の過労死が出た。
前田さん、32歳。亡くなる前3ケ月間くらいの平均残業時間が200時間。案の定、過労死してしまった。
 その人たちの存在の危うさは、正規は勝ち組で、非正規は負け組みだと言っちやうと見えなくなってしまう。

◎家族だけが踏み台でがんばってる
 派遣で切られた人の9割は家族が支えている。じやあ、家族の支えがある人は良かったのかというと、そうでもない。
余裕ある家族もあれば余裕のない家族もある。
去年派遣村にたどりついた500名の人たちが首切られて家に帰ってきたときに、
待ってる親御さんは60代から70代、80代。
わずかな年金で、貯金を取り崩して生活していて、生活がきつい。
自分かあと20年、30年、死ぬまで今の生活レベルを維持できるかなというような不安を抱えている人も少なくない。
 煮詰まった相談が来る。
30代くらいで、欝っぽい傾向の人。これからも仕事したいと思っているけど、
仕事でミスしたりして、「もう来なくていい」と言われる。
非正規の仕事を転々とする。親御さんが、プレッシャーかけてくる。
本人も辛いから、親と顔を合わせないで、部屋に引きこもってる。顔を合わせるといがみ合い、辛い。
出たいけど、出ていくお金はない。何とかならんかという相談。
こういう家族が放置されると、何かの拍子に事件が起こる。
家族が抱えている間、その貧困は社会的に見えない。滑り台の中で家族だけが踏み台で踏ん張っている状態です。

◎「戦争でも起こすしかない!」
 赤城さんという人が「希望は戦争」と言う文章を書いた。
31歳でコンビニでバイトをしている。自分が10年後どうなっているのか。
コンビニのバイト以外考えられない、そのとき給料が上がっているとは思えない。
これからの10年間、どう考えてもこのまま変わっていかないなと。
どうしたらこの状態が変わるんだろうか。
戦争でも起こってガラガラポンが起こるしかないんじやあないかと、あの文章を書いた。
何も変わらないじやないか、どうせ無理じやないかと言うことの裏返し。
それに対して社会は、そうしやあないということを提示できていない。
状況は悪くなる一方ということになれば、ウルトラCでも起こってくれないと無理だと思う人は増えている。
それは若者の右傾化だと私は思いません。
現在の生活の安定と将来の生活の見通しを、社会が与えるしかない。

◎ 9条と25条
 日本の社会は、戦争はもうやっちやあいかん、9条を支えなければという意識は非常に強い。
だけど、25条の方を考えると、1960年代の高度経済成長期に日本の社会の貧困は終わったといイメージがあります。
実際には、日雇労働者とか、母子世帯の人とか高度経済成長期を通じて一貫して貧困でしたが、
貧困の問題はず−っと忘れ去られてしまった。
25条の方の意識は弱かった。朝日訴訟は、提訴が1957年、象徴的だった。
高度経済成長のとは□で、人間らしい暮らしってなんだということが社会で議論できる状況がまだあった。
それ以降は、そういう議論そのものがなかった。右肩上がりの高度経済成長の中で、
もうこの問題は解消されていく問題だと考えたんだと推測する。
 9条と25条の関係を立てる時の理屈も、
「戦争が起こると、平和で平穏な暮らしが壊れちやうんだよ」とい風に言われてきた。
その前提は、いまわたしたちには平和で平穏な暮らしがあるということ、
それは25条がクリヤーされていて、25条を背にして9条を守らなければいけないという感じ。
「九条が壊れたら25条が壊れちやうんだよ」というふうな問題の立て方。
だけど、この間実際には、25条がガラガラと壊れてきたんだ。
「平和な暮らしがいまあるんだろうか」と感じる人が増えてきた。
今までとは逆の理屈を同時に立てる必要がある。
人々が健康で文化的な最低限度の生活ができるという健全な社会は、戦争に対する抵抗力が強い。
そういうことができない、抵抗力が弱ってしまう人が大量に生み出せる社会はそういうものに対して脆い。
25条から9条という流れも見ないといけないのではないか。

◎貧困率を減らす
 貧困率の測定がされたので、きちんと汲み取って、それからどうしていくんだということを議論して、目標を立てて減らしていくべきだと思う。
イギリスでは、80年代のサッチャー政権の新自由主義的な路線の中で、国が相当痛んだ。
 97年にブレア労働党政権ができて、やったことの一つに、子どもの貧困撲滅宣言というのがある。
子どもの貧困を無くすために、いろんな政策を総合的に打っていくことを宣言した。
2004年までにマイナス25%にする。2010年までにマイナス50%にする、
2020年までに最終的にゼロにするという目標を立てて取り組んでいます。
ひとつは、ニード対策です。
16歳から18歳で学校からドロップアウトしてしまった子達が放置されているのは、
その子達たちにとっても、社会にとっても良くない。
この子達が社会に戻って働いてくれることがこの子達にとっても、
社会にとっても良いという問題設定をして、そういう子達にマンツーマンでフォローする。
いろんな政策を打っていって、2004年には、マイナス25%までは行きませんでしたが、減りました。
そういう風にイギリスは子どもの貧困率を減らし続けてきた。
子どもは家庭の中で育つから、家庭も支援されることになるので、
国全体の貧困率も下がり続けていて8.3%。
私たちの国は問題を放置し続けてきたから、むしろ貧困は増え続けていて、今や15.7%。
このまま行ったら、どっちの国に未来があるのか。
どっちの国の方が子供が健やかに育つか、社会的な活力が生まれるか、答えは明らかです。
日本もようやく半世紀ぶ引こそれを認めるにいたったわけだから、
そういうのを減らしていくということで、きちんと政策を総合的に打っていく必要がある。
貧困率みたいな指標を経済成長率みたいな国の代表的な指標に押し上げていかなければいけない。
昔は経済成長率が上がれば、人々の暮らしは豊かになるんだといわれ、経済成長率が暮らしの指標になっていた。
90年代以降は、経済成長率が良くたって暮らしはきつくなってきている。
人々の暮らしを押さえ込むことで経済成長を遂げてきたのがこの間の10数年。
暮らしが見える指標を立てないといけない。
 25条が言ってるのは、飢餓ラインではなくてもっと高い、人間らしい暮らしを維持しなければいけない、
これができてなければ貧困なのだ、社会的、政策的に対処しなければいけないんだということだったはず。
25条は、「食えてれば文句いうな。死ななきやあいいんだ」といってない。
健康で文化的な最低限度の生活が保障されるレベルに高めていかなければいけないということ。
やらなければいけない政策は100も200もあげれるぐらい、セーフティネットはボロボロになってきている。

◎戦争に対する抵抗力が強い社会
 政策を変えるのは大変ですが、大事なのは「溜め」を社会が作ることですから、
たとえば、子育てに疲れたお母さんが,5人が集まって、
ひとりのお母さんが5人の子どもの面倒を見ている間、ほかの4人がちょっと息抜きする。
制度が変わらなくて自分たちで子育てに疲れてしまったところを支えるような ちっちやいかもしれないけど溜めをつくることができる。
社会の中で沢山の溜めができていくことが、経済的な効率至上主義から社会を守る防波堤になる。
そういうのがいっぱいある社会が強い社会だと思っている。
こういうのがない社会は、どれだけ軍事力が強くても弱い社会だ。
私たちはそういう意味で強い社会をめざすべきだ。
溜めがたくさんあって、人々が、トラブルがあっても、生活までは壊れない。
そういうなかで生きていける社会は、同時に戦争に対する抵抗力も強い社会のはずだ。
9条と25条はセットの問題、双方向の問題。
そういう理解を立てて、それぞれの現場でやっていくことが重要ではないか。
自己責任論みたいなつまらない責任をとる必要は一切ない。
そういう社会を作る責任は負っている。これが市民の責任なんだ。
この市民の責任を一人ひとりが果たすことが、とても重要なことではないか。

(「第9条の会ヒロシマ」会報64号より転載)



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