2、原水禁運動・平和教育の課題

  T、被曝者と戦災者との連帯を!  U、「私の平和論:ヒロシマをめぐって」 平岡 敬

 呉戦災を記録する会は、発足以来、「原爆被災者と一般戦災被災者の連帯を!」提唱し、
同じ戦争被害を受け、再び戦争被害を出させない同じ立場から、
「援護法制定を共に取り組み、共に体験を継承していこう!」と呼びかけ続けた。
  (参照)A.原水禁運動と一般戦災者の連帯

 1984年、第14回空襲・戦災を記録する会 全国連絡会議 呉大会を開催した際、呉地域の平和・民主団体を総結集して実行委員会を作り、成功させた。
 この大会の特色は、記録する会と原爆被爆者や他の平和民主団体との連帯を追及したことである。
 原爆被爆者は一般戦災者との均衡を理由に国家補償運動が前進せず、
一般戦災者は軍人軍属でなく、被災者も多いことから戦災補償が無く、相互の共闘が課題になっていた。

 戦災死者は、約30万人、負傷者は約102万人、罹災者は、約980万人。
 国の戦争政策に基ずく総力戦体制化での被害だから、国家補償を要求すべきだ。
 しかも、都市空襲の教訓を生かさず、初期消火の命令、床下防空壕を利用させ、 戦意高揚をあおり、避難をさせなかった。
 軍人・軍属は、戦傷病者・戦没者遺族等援護法、戦病者特別援護法で補償している。
 原爆被災者=極限的戦争被害者は、原子爆弾被害者の医療に関する法、
原子爆弾被害者に対する特別措置に関する法で最小限の補償を行なう。

 一般戦災者に対し、戦争では国民皆が忍従すべき義務があるので補償は出来ない、と政府は放置してきた。
 問題は原爆被害を特殊化し、被爆者団体や原水禁の運動団体、行政が利害関係から一般戦災者との連帯を遮断し、
観念的な原水爆罪悪(人類絶滅)論、(放射線)被害論だけを押し出したことによる。
そして、マスコミがこれを増幅して特別記事にし続け、ほとんど一般戦災者の問題を取り上げてこなかった。

 原水禁運動は特別視されて、行政や平和団体・労働組合に多大の便宜と支援を与えるが、
一般戦災の記録する会は支援を受けられず、行政施策の上でも疎外されてきている。
 政治的には、一般戦災を差別・無視することで原水禁運動を押さえ込み、
原爆被災を特別視することで一般戦災犠牲者の要求や一般兵器の軍縮・平和運動を抑える効果を持っている。

 たとえば、呉市では、市庁舎に「原水爆禁止・核廃絶」の垂れ幕が下がっているが、
同時に、「自衛隊と共存共栄」を掲げて、呉の軍事都市化が進んでいる。

 この差別分離懐柔政策を改めさせるには、運動の協同や統一が必要で、それをこの大会で提起した。
 しかし、これらの提起は、被団協・原水禁の運動家に無視され続け、マスコミも無視し続けてきた。


 2005年の8・6 記念日を前に中国新聞に投稿したが、無視された。以下はその原文。

「問い直そう、体験伝達」
 中国新聞の世論調査によると、「原爆投下の是非 若者に目立つ容認25%」、
平和教育を92%以上が受けたヒロシマの若者の回答であるが、全国の他都市では
もっと多くの若者が原爆投下を肯定するものと想定できる。
 被爆体験を伝える効果的な方法を問うと、一般戦災者との交流・連帯をあげた人は 6.8%で、最後の9番目だ。
 平和教育や運動に課題が残る。

 問題は原爆被害を特殊化し、被爆者団体や原水禁の運動団体、行政が利害関係から
一般戦災者との連帯を遮断し、観念的な原水爆罪悪論、被害論だけを押し出したことによる。
 原水爆は戦争の一環だから、戦争の悲惨な体験の中からしか原水爆禁止の思いは育たない。
 戦災空襲体験は全国何処でも身近にあって、戦争の悲惨さは伝えられる。
一般戦災の体験こそ原水爆禁止の源泉なのに、それを運動や行政などが差別し無視をした。

 「壁」を取り払う責務は、被団協や原水禁の運動団体にある。
一般戦災者とどう連帯すべきか論議したことがあるなら、その方策や内容をぜひ聴かせてほしい。
 一般戦災者との連帯による全国民的な空襲体験の伝承のみが、被爆体験の継承を支える基だと訴えたい。  以上


 中国新聞の解説記事では、「体験継承の認識が定着していない」として、
「被爆地の使命忘れず」「継承の営みを強め」と訴えていた。
 先生も生徒も被爆体験を持たず、身近で具体的な体験に基づく教育が行なわれず、
観念的に内容が原爆に特化しているので、被災者以外は絵空事になる。
 具体的な体験が重要で、原爆戦争以外の、爆弾・焼夷弾の一般戦災やイラク戦争など、
戦争体験は、世界中に、全国・何処でも、多数の体験がころがっている。

 今年、「呉戦災ーあれから60年」を出版し、平和記念館に本の販売を委託しようとしたが、
原爆関係以外は置かない、と拒否された。
 一般戦災を理解すれば、その極性にある原爆被爆が理解でき、
平和運動も進展すことへの認識に欠けていることを如実に思った。



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